大野地区民児協ブログ

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大野地区民児協のブログです

 

 

 

               昨日、家庭裁判所に(家裁)に行った。

     知人の遺言書について・・帯同した。

     一人では不安なので、金融機関に居た私を頼りに。

     遺言書の取り扱いについては幾らかの制度の知識はあったが。

     

     法務局なのか家裁なのか?(実働は?)、

     ➡ 法務局にて

     最初は法務局に行き書類と流れを聞きたいと尋ねたら➡家裁にて

     取り扱いしているので家裁に行けと言う。受付は若い男性

    

     ➡ 家裁窓口にて

     法務局から家裁へ行けと言われたので家裁へ来たと遺言書の取り扱い

     と必要書類の説明を求めた。

     すると法務局へ行けと言う。(若い女性)

     癇に障ったので「法務局へ行ったら家裁での取り扱い」家裁へ来た。

     「流れと必要書類の確認と期間などの説明を求めたい」と言っても

      こちらではやってません。

     「法務局へ行けと言う」この様子を見ていた後方の席から中年の

     男性がお話はどのようなことでしょうかと」出てきた。

     (最初から出て来いよ・・ムかっときたが・・)

     いきさつを説明したら・・必要書類と縁故者への縁者に関して

     必要書類戸籍謄本と期間・費用・遺言書の取り扱い検認への仕組み

     など説明を受けた。

 

     法務局も家庭裁判所も受け付けは臨時職員みたい。

     重要な財産管理・放棄・相続につながることなので

     業務内容を知らない、流れを把握できない対応できない職員では

     まずいですよ?。

     家裁・法務局などは専門職(司法書士・関係者)しか来ないのだろうか?

     家裁も法務局も

     どちらも人材不足_?それとも失業対策なのか?

     とにかく・・ワンステップで対応できることを望む(タテ社会なのか?)

     何度も時間を使うことはできない・・のだ。

   

     

  

 

 

           今日、TV番組で石原良純氏の「富士登山」様子が放映されていた。

    1回目

    35歳のころ 御殿場であった勤務先の集合研修の帰路(夏)

    に富士登山したことを思い出した。小屋どまり

    放映されたように360度展開の気色は抜群。

    しばらくして下部から雲が湧き登り雷は同じ高さを横に走る

    怖かった。

    このころは外人客の登山者はなかった。小屋の宿泊も快適。

    記念に頂上郵便局でハガキにスタンプをもらった。

    2回目 (佐世保から🚙)

    山の仲間と登った。子どもも小4年男子、年長さん女子。

    4年生の息子のザックにはおやつ、水筒、雨合羽、防寒着など

   

    私は年長さん女子を背負籠に抱え、頂上迄担いで登った。

    年長だったから、かなり重たかった。

    母親のザックは子どもたちの装備を抱える。

    重たかった・・だろう。

    子どもたちと富士山からの眺望を一緒にできたのは今でも

    思い出す。記念の杖には小屋の焼き印と日章旗がある。

    長男は頂上まじかで高山病ダウン・・3700Mは怖い。

    下山路をあしふらふらしながら歩いた。

    その後 穂高に行ったが・・それ以来 山に行くとは

    2人とも言わなくなった・。残念・・

    3回目

    冬の富士山・・凍傷した。

 

 

             高齢者の生きがいと社会貢献に向けて・・

       今日、ハローワークに問い合わせをした。

     担当部署が出るまで4人に変わった。録音するとのこと。

     OKの返事はしていないが・・録音された・

     高齢者に仕事を・・生き甲斐をチョキ

     国は70歳まで、75歳まで働けと言う。

     能力のない議員はどうするのかな?

     高齢者おじいちゃんおばあちゃんに働け、収入は自分で稼げ、失業保険も自分でなど〃

     一旦やめた職場から随分と経つ。

     違う仕事、職場に関心を持つのは自然だろう。

     生き甲斐のスタートアップ。

     その際に必要となるのは、最新の学び、知識・情報・資格取得だ。

     必要となるのが学びの資金はどうなるのかな?

     ハローワークに聞いてみた。

     教育訓練制度利用は雇用保険・失業保険での対象者。

     退職してから①1年内。現時点で②週20時間勤務・給与8/8円以上

     非学生などの制約がある。

     退職者が働くため学びは、どんな方法があるのか調べて見た。

     リカレント教育・リスキリング・通信教育など

     どれも金がかかる。高齢者が学びたくても金はない

     ハローワークの

     教育訓練の対象にはならないのだろうか?何故、現役中は雇用保険

     40年間天引きされたのに?

     若者ばかりに教育の無償化、教育資金返済の変更など。焦点が当

     てられているが・・・ 高齢者を働く現場に戻したいのなら

     リカレントl教育資金・学びの支援を資金面での制度作りが

     急がれる。働く人がいてからこそ・・税収増もあり得るのか?

     国は増税しなくても高齢者に学びのチャンスを、環境・制度作りを創る

     ことから始めましょう・・無理かな???

     

     結局は年金で生き甲斐もなく、会話もなく、独り言生活しか無いのか月見

     終わります。

     

 

 

 

 

 

     ワンダーフォーゲルからの・・其の後を思い出した。

     5月の連休のこと

              初めての雪山(雪だるま春山)は劔の小窓尾根から山頂へ行くルート。

。    この山行に挑戦する前年、中国地方の大山での雪上訓練、雪壁の

     登攀、冬山の装備の使い方、雪を溶かしラーメン食事などなど・・した。

 

     夜行列車だった。京都で北陸方面行~富山~   ~番場島

     取りつき地点は不明。現在地を1/25の地図で確認。

     橋を渡り、徒渉は

     川の水温は雪解け水で裸足の行動はつらい。

     目標を見つけ・・歩き出す

     いきなりの急坂はつらい、地図上の等高線も幅が狭く蛇行している

     稜線を5~6H歩いたところに平地を見つけ幕営。標高約1500M

     はあるだろう。夕食、白ワイン酒を飲んで寝ていると、テント天井にたわみ。

     雪が降ってきたのだ。

     雪は吹雪となり、天候は雪だるま悪化、風も強くなってきたので行動は沈。

     ラジオの☀予報(朝、10:00・夕 16・:00)から天気図を書いた

     天候はあまりよろしくないので行動しない。

     結局は今場で2泊した。プリンを作り(雪の中に埋めて凍らせる)

     漫画を読んだり時間をつぶした。

 

     4日目の天候は高気圧が張り出しそう・・行動にかかる。

     天候に恵まれ縦走路もグッ快調。途中〃に岩稜。小さな雪壁をトラバース

     際中にアイゼンのベルトが緩み危うく一命に及ぼす場面もあった

     圧巻は山頂直下の雪壁(ルンゼ)は落差200Mはある箇所。

     ザック、カナビラ、メット他すべてが重く感じる。

     ピッケル、ザイルがたより。

     左手に小窓3峰、後方にトレースのある縦走路は感動の場面。

     ピーク剣山頂は音譜爽快。天候は良好、遠望可、問題なし。

     鉄の階段を下り

     前剣の下りは尻セード。これが最高に愉快であった。乗越経て

     (最近は尻制動はしないそうだ、だってオバーズボンが破ける)

     室堂へ。有休届はぎりぎりの日程。何もなかったように勤務。

     このころの写真機はカメラ「写ルンです」携帯もないのでアマ無線機。

     本格的な雪山・・九州から行くのは大変だぞ・・ト思った山行。

 

 

 

     

 

 

 

 

 

     

     

     

 

 

 

                ワンダーフォーゲルからのその後 3

       40年位前のお話です・・現在71歳。

     北岳バットレス第4尾根登攀中、途中マッチ箱ピーク?(記憶が確かではない)

     にて懸垂下降をすることになった。カナビラ、ザイルの重さは・・

     登りばかりと思っていたが、下りもあるのか・・15M位あるぞ。

     周りを見回すと沢沿いには雪渓、そこを歩く黒点模様の人間。

     目の前には甲斐駒岳・・嬉しい・・ぞ。

     落差は400M位あるのか?怖い・・ほんと。

     しばらく身体は動かなかった、・・ 懸垂下降の練習はやったがザイルが

     上手く身体に馴染まない。どこか間違いがある。岩場の上で動かない私を

     見て仲間は不思議そうな顔をしていた。緊張していて動かない私を観ていた

     後続の女子2人組が近づき・・ザイルの巻き方、手順を教えてくれた。

     星女神がおりてきたのだ。

     御礼の言葉に「ニッコリ」ニコニコ互いに笑顔。「助かった…ぞ拍手

     

     雪渓,大樺沢沿いにテントを張り、その場から岩場の下部に取りつき

     ミッテルにて開始。トップ・ラストもベテラン、この場に来るまでに

     県内、九州の岩場で練習はしたが、さすが現地は迫力が違う。

     隣のコースでは崩壊していく岩・・人間もコースの近くに姿が点在

      2日目は4尾根の隣のBがリー大滝コース

     若さと力に任せて登り完登。その後テント(大樺沢のテント場まで)

     2日間往復はきつい。

     2コースともタイムは予定通り。頂上までがゴール。

      3日目~北岳~間ノ岳~農鳥山~三伏峠~縦走後、下山。

     縦走コースは国内最高のパノラマ、宇宙まで届きそうな景色は

     もう一度行きたいコース・・・です?

     今と違い、汽車、新幹線、バスの乗り換えも大変だった。

     それにしても1山行で北岳に3回のピークは幸福の限り。

     今回はここまで ちなみに今の様なクレッターシューズでは

     ありません。革の登山靴です。

     次回は剣の5月(テント沈物語です)

 

 

     

     

 

     前作からの続き・・

                      九州の山の登山から少しステップアップした。

        その後の・・

 

    別の会に入り、沢登りに興味を持つようになり、また稜線歩きから

    岩登りにまで誘われれば行くようになった。

    夏は北アルプス(白馬の他に穂高縦走・剣など)南アルプス縦走。

    北岳岩登り、バットレス挑戦第4尾根完登。

    春山(剣岳雪壁小窓尾根・雪の稜線歩き)雪山(伯耆大山の縦走・今はできない)

    夏の北海道一周など好奇心と意欲はとまる所を知らない。

 

    海外も気になり出した。ヒマラヤ(パタール・ヒウンチュリ6000M級

    までも計画したが、遠征費用と時間と体力がないのではあきらめた。

    台湾(玉山/3,990M)時代背景は中国との平和条約が締結されない。

    今でも?戦時状態。国内の高速道路には兵隊が銃を構えていた。

    (10日間くらいの日程、住民の山のお父さん案内人)は戦時中、鹿屋基地で

    日本兵として働いていたと、聞いた(だから日本語が上手)

    ボルネオのキナバル山(4,000M東南アジアでの最高峰)登山後は

    海のリゾートやしの木ホテル泊。楽しかったな~

    1日の入山料あり。入山者規制。富士山も参考になるのかな? 

    (有給休暇・10日くらいの日程)で快適。

    退職後・・59歳・・

    アフリカのキリマンジャロ(5,880M)は20日間。此処は標高があるので

    1年前からの準備が必要、高度順応に低圧酸素でのトレーニングを実行。

    (✈魚の骨福岡空港~シンガポール~カタール~イングランド~タンザニアへ

    登山中は高度順応の為に標高を上下する(3,000M~3500M往復)等ある

    最後は頂上へ5,880M\(^o^)/ キャンプまでの帰路は遠かった。

    疲れた山行でした。

    原点は佐世保ワンダーフォーゲルからの出発であった。

    本日の創立50周年記念おめでとう。

     

 

        星佐世保ワンダーフォーゲルのこと

                  記憶がよみがえる・・若いころ・・会に入り山のぼりをしていた。

       後継者の努力で継運営営されてはいたが

       登山人口の減もあって

       グループの加入者が減り暖簾を降ろしてから数年経過した。

 

      2か月前に、会の活動は無くなったが、40年以上前に山仲間として

      歩きまわっていた仲間から、パーまた集まりたいと「はがきの案内」。

      創設からすると50周年となる。

      もともと山が好きだった私は知人の紹介で会に入会した。

      誘われて這入ったらその時代の先駆者的な人がいた。

      地方ではまだまだだったあしあと海外登山である

      おお~っ・・すごい。そんな思いであった・

      50年前の話・・

      お隣の韓国ではあったが・国内的には隣国、朝鮮国とは緊張状態で

      韓国内の主要道路には兵士が銃を持って検問している状況。怖い。

      佐世保市長の「親書」を持参、当時の新聞にも載った。

      

      九州国内を主な登山対象とした。延岡から入った大崩山地の  

      5月の縦走、ピンク色ピンク薔薇の曙つつじのトンネルは今でも記憶に残る。

      延岡~大崩~鹿納山~傾山まで。

      2泊3日山中から開放され帰途は汽車

 

      開会の挨拶後・・ボトル始まった宴会。赤ワイン

      男女合わせて20人超。4テーブルで昔話が始まる・・

      80歳超のベテランもいる~今はグランドゴルフなどなど

      自己紹介で始まる・・持ち時間は自由。昔話は続きます。

      みんな・・若さを取り戻したか? 明日にはもとに・・

      みんな元気に・・幹事さんありがとう。出席された皆さん

      へ感謝(遠隔地からありがとう)

      次は3年後・・会えるのを楽しみに散会。終わります。

      

      

 

 

                 

                           告別式の後 1週間ごとの集まりがある。

                          初七日・二7日と続くお逮夜四九明けと

 

         近親者の集まり

         故人を偲んで・・あ~こうだったなど。

         反省・・などもたくさんある。

         故人の逸話を思い出しながら、住職の講話も

         聞く。

         故人はいつ黄泉の国へ行くのかは不明。

         いつも急に旅立つのである・・

         

         故人の残してくれた・・課題・・相続

         相続は どこの家庭にもある事案。

         亡くなってから10か月内に申告・納付しなければならない 

         相続放棄は3か月内に家裁へ届ける

         税控除は3000万+(600万×相続人)

         *特例措置(小規模宅地・配偶者の税軽減措置)等ある

         空き家であれば

         特定空き家措置(周辺地区に悪影響を及ぼす可能性の建物)

         軽減措置が受けられなければ最大で6倍の課税などなど

   

         近親者での相続放棄なのか?または財産の管理

         事前の公正証書などの作成 ~ こんな話も集まった時にしか

         できない。詳しくは司法書士へ

         お逮夜は遠く離れていた人に会える機会。

         身近な人たちへの感謝と思い出の振り返り、交流の場でもある。

         長寿の故人へ感謝。

  

 

 

         

 

         

 

 

 

 

        

         

         

         2024年8月29日 木  

         訪問時間は 19:00過ぎ (大野地区コミセン)

         行政から避難指示は出されていた。

 

                          休憩室(和室)にはおじいちゃん7人、別の部屋にはおばあちゃん5人が避難されていた。

        (過去、避難所は近くの小中学校であったが、避難所は土砂災害の

         ハザードマップの指定範疇であった。)今回はコミセンが指場所。

        (他にも避難先として工業高校もあるが手前の川を渡るにも

         ハザードマップの中)(川が氾濫したら・・ト思うと)

 

        午前中10:00~の開設である。

        安心・安全見守り訪問で・・2F,2つの部屋の人々にご挨拶。

        

        みなさん明るく会話中であった。それぞれに準備は

        (飲料水ボトルパン・タオルケットなど)されていた。

        休憩部屋のTVもOK(情報収集)数年前はTV映らなかった?

 

         今回私のこの情報の入手先は

        ① 危機管理課 ②福祉政策課 (FAXにて受信)③防災無線放送

        ④ 市のホームぺージにて確認 ⑤ 防災ラジオ(?)未確認

        後日、委員のみなさまに情報収集の在り方を確認してみよう。

        

        現在午前7:00 風雨台風は少しは落ちついてきたが・・

       いずれにしても、個人による防災対策の準備は日頃から確認したい。

       私も

       前日に用具・食糧の点検でライトの不備が見つかり購入となった。

       パグわんわん犬の食糧の確認も済んだ。 雨どいも整備した。

       台風さん・・ 何事もなく通過してくれ。 

       当日の受付・・センター長ご苦労様。   

        

      

 

        

         

        

 

 

                    台風避難の為に避難所開設のお知らせ。

 

      8月29日 木  10:00~ 大野地区においては

                     大野コミセンを開設

  

              従来の大野小・中学校は対象ではありません。

 

      詳しくは佐世保市のホームぺージ をご覧ください・

        防災ポータルサイト 赤枠にて表示

      (タオル・くすり・筆記用具・飲料水・おやつ・小銭(自販機用)

       タオルケット・携帯(充電完了)ビニール袋など)各自の判断

       

       防災無線でも放送されます。危機管理局からの返事あり。 

                      以上、ご案内でした。