なんとか…なんとか結婚式💒は無事に出席できました。

でもやっぱり洋服の方が良かったって思いました。

着付けしてもらっている間も母はフラフラうずまき

立っているのがやっとで、私がずっと横に付いて、フラッとすると支えなければ着られませんでしたタラー

披露宴では席がだいぶ離れていたので様子は、よくわかりませんでしたが、母は叔母(母の妹)が、よくみてくれたようで、姉は父を…。

体力的にもキツそうでしたし、トイレ🚽が大変アセアセでした。

リハパンを履いていたので、失禁しても構わなかったんですが…タラー

しかし、いくらリハパンでも便失禁となると、そんな事言っていられませんアセアセ

なんか臭う気がして「💩出た?」と、聞くと「出てない」と言うのだけれど…臭いしょんぼりはてなマーク

で、トイレに行ってみると…出てなかった…なんて。

便失禁したら大変アセアセなんて、ずっと思っていると、臭う気がしてしまうんですよね汗うさぎ



父をショートステイで一晩か二晩、預かってもらったらどうか…ケアマネさんや叔母が、その方がいいと言いました。

私もそうした方がいいと思いました。

でも姉がガンとして拒否しました。

「ダメだよ〜‼️(連れて)行くんだから‼️」

姉はどこへ行くにも父と一緒。

それはずっとずっと変わりませんでした。


母の顔は半分黒いまま…左瞼は下がったまま、開いているのか瞑っているのか、わからないような状態…痛々しい

事情を知らない方には異様だったかもしれません泣

小さい子供にはジーッと見られ、大人は二度見…

仕方ないことですが、母は辛かったのではないでしょうか

母はその頃、普段からリハパンを履いていました。

予防的ではありましたが、脱ぐと失禁していたことも珍しくなくなっていました。

話すことは普通でしたが、なんか覇気がなくボンヤリした感じでした。

長い闘病生活で本格的にボケ始めの頃だと思います。