TVキャスター上杉理恵子 其の六
ゆったりした豪華な革張りのソファーのような席に座った理恵子はテーブルを挟んで座った黒岩の顔を見た。 理恵子が驚いたこの大きなワンボックスカーの車内はまるでVIPルームのように豪華に改造されていたのだ。 理恵ちゃん、 この車、凄いだろ、 黒岩は得意げに理恵子の顔を見ながら話したのだ。 ホラ、此処、 この中にはワインも入ってるんだよ、 ホラ、 すごいワインだろ、 それにTVにオーディオ、 これね、 スピーカーが10個も付いてるんだって、 理恵ちゃん、シャンソンが好きなんだろ、 聴いても良いんだよ、 あぁ、でもすぐ着くから、 まぁ、良いか、 此れスイッチがいっぱい有って分らないし、 笑顔で話す黒岩に理恵子は逆に段々不安になって来たのだろうか、 黒岩さん、 ディレクターはこんなの良く利用するんですか、 私、ちょっと理解出来ないんですけど、 演劇を観に行くんじゃないんですか、 理恵子は真面目な顔をして聞いたのだった。
はっ、はっ、はっ、 そうだな、 ゴメン、ゴメン、 でも心配ないよ、 すぐ着くから、 うんうん、 それにこの車は今から行く演劇する所のオーナーさんの車だからね、 サービスなんだよ、サービス、 でもそりゃ驚くよね、 この事は後でちゃんと説明するから、 ネ、 でも理恵ちゃん、 最初に変わった演劇だって云ったろ、 もう此処からこの演劇は始まっていると思ってくれれば良いんだよ、 絶対面白いんだから、 それに理恵ちゃんの今後にもきっと役立つと思うよ、 黒岩は表情を変える事も無く笑顔で応えたのだった。 この時キッと真面目な表情で黒岩を見ていた理恵子も未だ本気で不安に思ってはいなかったのだろう。 たしかに黒岩の悪い噂は理恵子も多少は聞いていた。 しかし仕事は真面目に真剣で上層部の信頼も厚く、近くプロデューサーに昇進するとの噂もあったのだ。 そんな敏腕なディレクターがまさか自分をそんな変な処に誘って何かをするとは考えられなかったからだろう。 面白い演劇はもう始まっている? 豪華な車内にお金持ちのオーナー、 理恵子は黒岩の話しに外の景色を見ながら何故か逆に期待に胸が高鳴ることを感じるのだった。
十分ほど走っただろうか、 車は外からは何も見えなかったが昼間の明るい日差しに外の景色が理恵子の眼にもよく見えていたのだ。 狭い路地から本道に出ていたのだろうか、 良く見ると何故かさっき通ったような並木道の道路を走っているのが分ったのだ。 まさか、 そんな事はないわよね、 あれからもう大分走ってるもの、 そう思っていた理恵子はずっと前の信号を見て驚いた、 えっ、 あの信号、 斜め右をみると丁度そこは並木道が切れる信号だったのだ。 理恵子が不思議に感じている時、未だ遠くに見えるその交差点の信号が赤から青に変わるのが分った。 ふ~ん、 何かしら、 絶対この道はさっき来た道だもの、 運転手さん、間違えたのかしら、 理恵子が思ってるとき車のスピードがやけに遅くなっているのを感じたのだ。 車はゆっくりと走ってはいるが並木道の交差点にどんどん近づいて行く、 今ならあの信号青で渡れるわ、 しかしこの運転手さん、何故こんなにゆっくり走るのかしら、 理恵子は多少イライラしながら後ろを振り返ったのだった。 後続に車がいないか見たのだ。 やはり其処には早く走れとばかりにピッタリ幅寄せする車のほかに3台ほど車が連なっていたのが見えたのだ。 後の車が可哀想だわ、 理恵子は一人つぶやくとまた前を見た瞬間、 あっ、 変わったわ、 やはり信号は青から黄色に変わったのが見えたのだ。 あぁ、 やっぱり間に合わなかったわね、 理恵子は思った、 運転手がスッとブレーキを踏んだのも分った。 しかし車は歩道の処で一旦止まったと思ったら其処で何故か急に信号無視でもするようにエンジン音を響かせ左に曲がって走り出したのだった。
えっ、 何? なんなのこの運転手さん、 理恵子は完全に分らなかった。 しかも左に曲がった先にはまた大きなお寺の屋根が見えたからだ。 えっ、? 忘れ物でもして戻ったのかしら、 理恵子はそれしか考えられなかったのだろう。 さっきタクシーで入ったお寺の門に差し掛かった処で思ったのだ。 しかし運転手は何事も無かったかのように其のお寺の前を通り越して真っ直ぐ走っていったのだった。
片桐源蔵 オリジナル作品
