TVキャスター上杉理恵子 其の四
我が偉大なるフランスの国民よ、 今こそ立ち上がる時です、 フランスは必ず勝利します、 私には神の声が聴こえたのです。 農村で生れた十七歳の若き乙女ジャンヌダルクがイギリス軍に侵されたフランスの国土を守る為に立ち上がった時、戦いに疲れた兵士達の前で叫んだ言葉だった。 フランス全土が陥落寸前の風前の灯の中、 ジャンヌは闘う気力を失くした兵士や打ちひしがれた農民市民の前で自ら傷を負いながらも国民を奮い立たせイギリス軍との闘いに勝利していったのだった。
勝気な性格の理恵子もそんなジャンヌの強い生き方に共感を得ていたのだろう。 しかしそんなジャンヌも捕虜になった後には凄まじい程の悲しき女の運命の最期を迎えるのであった。 理恵子はその地を訪ね、ジャンヌが炎に散った其の場所で歴史の果敢無さを感じるのであった。
理恵子は嫌な思いを忘れるかのようにふっと眼を閉じてハイヤーが再び動き出すのを待ったのだ。 しかし暗い車内で眼を閉じた瞬間、 今でも忘れる事の出来ないあの時の悪魔の誘いが走馬灯のように込上げてくる事から遁れる事は出来なかったのだ。 理恵ちゃん、 理恵ちゃんはフランス文学に興味を持っていたんだね、 今、面白い演劇をやってるから良かったら一緒に観に行かないか、 前に理恵ちゃんが云っていたジャンヌダルクを題材にしたちょっと変わった彼女の受難の演劇なんだがね、
そう囁いたのは理恵子がこの会社の入社試験の第三次試験で面接試験を担当した当時、報道局のディレクターをしていた黒岩だった。 理恵子は四人の面接官の中にいた其の黒岩敬三に設問された時、 フランスへの留学経験やジャンヌダルクへの思いを熱く語っていたのだった。 この黒岩という男、 世間の情勢変化を読み取る先見性に優れていたのだろうか、彼が手がける番組はどれも評判が良かったのだ。 しかし其の裏では彼の隠れた性癖であるだろう所謂、女に対しての黒い噂は局内でも有名だったのである。 ジャンヌの受難を描いた演劇ですか? えぇ、 それは嬉しいですわ、 黒岩さん、覚えていて下さったんですね、 私がジャンヌを好きだった事、 それなら私も喜んで観させて頂きたいですわ、 理恵子は入社して新人研修を終えた頃の十九年前のあの時、何の疑いも無く黒岩の悪魔の誘いを受けたのであった。
ナムキトパ ナムキトパ 美しく流れる愛の叙述詩にTVキャスター上杉理恵子は静かに落ち着きを取り戻したのだろうか、 暗闇の中で身体を微かに揺さぶるエンジンの振動音に身体が順応するように心地良く浅い眠りに憑くのであった。
片桐源蔵 オリジナル作品
