うーろんの ロサンゼルス 事件簿 -18ページ目

うーろんの ロサンゼルス 事件簿

2011年1月にサンノゼからロサンゼルスへ。でも危うくとんぼ返りしそうに

3日で終わるかもしれなかったロサンゼルスの生活を
一日一日を大切に過ごしながら綴りたいと思います

家族:うーろん、ダンナ、娘(コうーろん4歳、チビうーろん6ヶ月)、モンゴ(ねこ)

日本で被災後(群馬県だったので震度5で済みましたが)、両親とずーっとニュースをつけて日々を暮らしていました。その時に歴然だったのは、気象庁のとっても退屈そうに棒読みをするお偉いさんに比べて、このひと↓ 枝野官房長官は原稿を読むことなく、きちんきちんと記者たちに話しかけているということでした。この状況下で並大抵の器ではありません。。。

$うーろんのロサンゼルス事件簿



何号機かの最初の爆発がメディアでいち早く報道された後、これは一体、正式にはどう報告するのだろうと、日本中が凝視していたと思いますが、「原子炉自体が爆発したとの確認はされていませんが、爆発事象は確認されております」とあくまで事実に沿って報告されていました。「またそんな!」とわたしだってそのときは思いましたが、結局官房長官の言ったことは本当で、原子炉が爆発したのではなく、内部で発生した水素と、圧力抜きのために外気へ弁を開けていたので、外気中の酸素とそこで爆発して、外側の建屋だけが吹き飛ばされたのだということは、みなさんもご存知の通り。原子炉爆発じゃチェルノブイリになってしまうので、差は大きいです。

そして、いよいよ人体に影響の出る放射能が原発正門付近で見つかった時は。。。さすがに冷や汗を光らせていました。しかし、どんなに辛い事実でも、しっかりとした口調で報告する姿はそのままでした。

結婚指輪もされていて、昼夜を問わず会見に出て来るお父さんを、ご家族はさぞ心配だと思います。原発の最初の会見に出て来て以来、きっと寝てないのでは??

今日そんな枝野官房長官が、どうしてこのクライシスにおいて効果的であるか、記事をみつけました。
「枝野官房長官から学べる10のこと」だそうですが、その中でも

8. 質問に対して回避的な答えはせずに、事実ベースでできる範囲の回答をする。

9. スポークスマンとして常に登場する。

これ、ほんと重要ですよね~~

だって、東電の副社長以下のスポークスマンは、どんどん取って代わっています。最初は後ろに控えていた人が、副社長ともう2人前に座っている人では埒があかなくて、半ば飛び込みで説明をしたり。。。その人が次回は前に出て来たり。。。しかも言いにくいことを聞かれると、明らかに聞こえないフリ(!!)とか、どう考えても論点がすり替わっている回答を平気でしていたので(それももちろん戦略でしょうが)、やはりここまで大きな舞台で「きちんと国民と向き合って、答える。」ことができる枝野官房長官は、すごい人なのではないでしょうか。このひとが日本の政府の代表として、世界に注目されているのも、不幸中の幸いだと思います。この状況で、しどろもどろに「あ~~~、う~~~~」と繰り返すだけの人が出て来ていたら、海外にいる日本人としては、辛すぎますドクロ

「枝野官房長官から学べる10のこと」はこちらから




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(ここまでのお話は、これのひとつ前のブログ、前編を読んでくださいね。)

高崎の病院から一路富岡という今両親が隠居している街へ向かいましたが、あまりの大渋滞に、本当なら30分のところを、何時間かかったのやら。。。

途中開いていたスーパー(高崎市内)に寄ってみましたが、(大きな店舗はほとんど閉めてしまっていましたが)床にワインの、割れ瓶だけ片付けて、中身はそのままにしていたり、落ちたお酒のパックを床の端の方に押しやっているような光景で、お店のものもだいぶ落ちたことが伺われました。

そしてお家に近づくにつれ、異様に暗いことに気づきました。ちょっと開けたところに出て、向こうの街まで見渡しても、まっくらです。これはもしや。。。と両親と心配しながら帰ると、案の定アパートの窓も駐車場も真っ暗で、完璧に地域全体が停電していました。しかも悪いことに、アパートへの水道は電動のポンプで行われているので、駐車場の蛇口から水はでるものの、家の中までは水が通っていません。さらに事の重大さがひしひしと感じられた夜になってしまいました。

日本は外の気温はまだまだ寒く、群馬のここでも朝は零度近くなることがありました。とにかく適当に食べてコうーろんとひとつのお布団であたたかくしながら寝ましたが、返ってあっためすぎたような気が。。。気がつくとコうーろんはお布団をはだけてしまっていて、やっぱり翌日鼻水がかなり出るようになってしまいました。最悪。。。ダウン

この停電していた夜ですが、かなり怖かったです。お布団に横になっていると、ドン、トトン、とまるで遠くのうちで低音を効かせて音楽を聴いているような音がしたので、「こんなときに違うよねまさか。。。」と思っていたら、それがしばらく続いた後、余震でまたグラグラッと来ました。あれは、地鳴だったのでしょうか。。。

ともあれ、電気は朝方に回復、ようやくテレビを付けると、みなさんもきっと見た、あの津波の報道が繰り返しされていました。あの朝を振り返ると、本当にこんな悪夢になります。

ー> 三陸沖の津波の様子が、まざまざと映し出される。ドロドロとした液体になって、家や車や無数のガレキが海へ引き込まれて行く様子が、あまりにも非現実的でみんなテレビに釘付けになる。

ー> そうかと思えば、VTRが途中で途切れて、あの不快な電子音が流れ、地震警報が入る。

ー> 緊張したアナウンサーが、「ただいま地震警報が入りました」と言い、みんな固唾を飲んで、群馬県が入っているか見つめる

ー> 揺れを感じるか、息を詰めて待つ。揺れるのを感じたら、本当に避難するほど大きなものか見極めるために、ガラスや電気を見つめる。

ー> 他県でも津波がまた来ないか、地震速報もじっと見つめる。

ー> 三陸沖の津波の被害者が映し出される。上記を全部また繰り返す。


こんな状態がまる二日ほど続き、津波が納まって来てからも地震警報に対する緊張は同じでした。実際の地震で物が壊れたりしなかった家でも、余震の区域に入っていれば、このストレスとトラウマがある限り、ある意味すでに被災者であると、わたしは思いました。

この後で福島原発に関するニュースでまた一喜一憂する日々が続きますが、三陸沖、福島県の方々、もう無数の方が信じられない苦境に立たされていて、もうただそんなニュースを食い入るように見るしかない、辛い現実でした。今日、アメリカ側の家族に強く強く希望されて、コうーろんを連れてロスへ帰って来ましたが、こんなに遠く離れても、まだあの地震警報の電子音が耳から離れません。そして、ダンナと帰宅してやっと落ち着いたとき、今回の地震が始まって以来、初めて泣きました。日本に居る間は、泣いてなんていられなかった。。。

義援金の受付口もだいぶ増えて来ているようですが、被災者の方の苦しみは、みんなでなんとか助けなくてはどうしようもない状況です。あんな日本でも、この規模の災害は想定外で、とてもベーシックな救援物資が行き渡っていません。手を洗う水さえままならない状態なんて、信じられますか?「日本赤十字 地震 義援金」などをググって、どうかみなさんも少しでも助けてあげてください。おねがいします。


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そうなんですガーンこんなタイミングで日本に来ています。

仕事してない今こそ、2週間以上日本に滞在してゆっくりするぞー!とコうーろんだけ連れて来たら、羽田に到着して親に迎えに来てもらったその翌日、地震に遭遇です。

元々栃木出身ですが、両親が今は群馬で隠居しているので、この日は群馬県南部を車で移動していました。(後日わかったことですが、宇都宮の友達は震度6を体験、高崎は震度5強の報道でした。宇都宮の古い家屋は、結構壁にひびが入ったりしたそうです。)

それは、高崎の市街地を父親の運転で移動していて、ちょうど父と群馬が風の強い話をしていたときでした。「あ、ほんとだ。風が強くて信号が縦にゆっさゆっさ揺れているわ。。。」とつぶやいたとたん、車の下から突き上げて来る力で父が「え?地震か?」と言ったやいなや車ごとゆっさゆっさと揺さぶられ、道の両側から人々がぱらぱらと外に出て来て、どうやらただの地震ではない事がわかりました。その直後、街全体がガサガサガサガサと、今までと聞いた事の無い音を立ててざわめき、ちょっと先に見えたレクサスのディーラーのショーウィンドーが、シャボン玉の膜のようにぼわんぼわんと大きく波打ち、道の横で駐車している車が勝手に動き出して、アラームがあちらこちらで鳴り始めました。父に「電信柱が倒れるかもしれないから、なるべく落ちるものがないところに行かなくちゃ」とつぶやいたものの、でもとにかくゆっくり停車させた車の中からみんな外を見つめるしかなくて、信じられない光景に絶句していました。

高崎の病院に入っているおじいちゃんのお見舞いに行く途中でしたので、揺れが収まってから、とにかく病院へ様子を見に行く事にしました。すると、病院の外へ職員の方が避難しているところでした。病院の駐車場で車載テレビでニュースをつけると、本当にただ事でない事が声が裏返りそうなアナウンサーの「ただいま、地震がありました。ただいま、地震がありました。落ち着いて、身の安全を確保して下さい」と繰り返しながら、テレビ局自体も揺れていて動揺している様子でわかりました。震度7という聞いたこともない震度も、大津波があと○○分で△△県海岸に到達するので高台に逃げて下さいという、いつものテレビに字幕スーパーでちょっと出て来るだけの「津波警報」ようなレベルでない事も、なにもかも映画を見ているように非現実的なほど唐突でした。しかもさらにいつもの地震後と違う事には、駐車場で様子を見ている間に、もう一度かなり揺れて、また病院のスタッフがでてきてしまいました。後に分かったことですが、こちらが茨城沖の地震だったようです。とにかくそれからも余震でぐらぐらとひっきりなしに揺れて、アナウンサーもあまりに続く余震警報にどんどん青ざめていくのがわかるほどでした。

おじいちゃんの病院へは、しばらくしてから入ってみましたが、全館停電、患者さんをみんな1階に非難させたところで、主治医の先生はみつかったものの、「◯◯さんもここに避難していますので大丈夫ですよ。」とだけ言うや否や、他の患者さんのご家族や看護士さんの対応に移ってしまって、おじいちゃんはどこですか?と聞く暇もないほどでした。病院へ任せることにして、家へ。

つづく。。。



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