先ほどの記事で、
なんとか
「気がつけばここまで来ていたんだね」
という文言までこぎ着けたとき、
見返り観音様が頭に浮かんできました。

「見返り」という名の付くもので、
代表的な作品と言えば
菱川師宣の
「見返り美人図」がありますが、



※ ネットからお借りしました。

 

 

同じ「見返り」でも、
観音様とは趣旨が違うものの、
着物姿の美人がふと振り返った際の
色気を見事に捉えたもので、
これはこれで魅力があります。

いつの日かの見返り観音様の記事では

後についてくる人々を

「大丈夫か?
 ちゃんとついて来られているか?」

という慈悲深いお顔で
見守られている様子に感じると
書きましたが、

もうひとつの意味があるのではと
気づきました。

私には生徒さんに
必要以上のテキストは持たせない
というコンセプトがあります。

ポリシーというような
仰々しいことではなくて、

ホンマにね、
「あなたね、これだけのモノ、
 全部出来ますか?」
というくらい、
1科目につき
3冊も4冊も持たされている
場合があります。

塾の授業で使うものと、
復習で使うものとに
分けられているらしいのですが、
それでも分量が多すぎるように
思えてならないのですね。

必要なものは必要です。
でも必要悪になれば何もならない。

私もそうでしたが、
それは今でも
そうだと思うことがあります。

入門者に対して、
しなければいけないことを
全部見せるのは
是か非かというものです。

初めての人、
学力がまだまだおぼつかない人に、

「成績を上げるために、
 これとあれと・・・。
 あ、そうそう、これもそれも
 全部やらなくちゃね。」

と、目の前にドサッと積み上げられると
どのように思うでしょうか。

「何を甘いこと言っているんだ、
 そのくらいで怖じ気づくのであれば
 初めっからここへ来るなよ。」

そうおっしゃる指導者も
いることでしょう。

理想論や精神論云々よりも
まず現実を見せてやるのが大事だ。

結論から申しますと、
ワタシにとってはアカンやつです。

親父様、実は、ワタシのアカンやつの
タイプでした。

病気がちだったので、
体を丈夫にさせようという
厚い親心から、
いきなり2kgと4kgの鉄製アレーを
買って来たのです。

それもご丁寧に2つずつ。

それを床の上にドンと置いて、

「明日からやれ。」

と言う。

ワタシ、当時小学4年生。

4年生の少年に「やれ」と言われても
何をどうするのか
皆目見当もつきません。

どこまで不器用やねん、という親父様。

ただでさえ頑固で、
天上天下唯我独尊に近い考え方を
当時から持っていた、
およそ一般的な小学4年生からすれば
10本くらい線が外れていた子が
はいそうですかとするわけがない。

それから50年以上も経て
今では2kg・4kg・5kg・6kgと増えて
あろうことか13kgまで対応できるような
可変式のダンベルまで買い込むなんざ、
当時のワタシからは
天と地がひっくり返っても
想像できないことでした。

それでも、いきなり、
これらのダンベルを買いそろえていたら

まだたかが1年間とはいえ
それだけでも続いたかと問われれば、

今頃は、とおにダンベルたちを
部屋の邪魔者扱いしていたかも
知れません。

勉強だって同じで、
するべきことを
目の前に全部積み上げられ、

「さあ、やってごらん。」

そう言われて、
それが渋々でも始められる人は
それ相応の学力レベルに
達している人で、
大半の人はドン引きします。

その順序を逆にすればどうでしょうか。

一生懸命して来て、
そのして来たことを
見えぬ所に置いておき、
目標を達成できたときに
初めて見せるのです。

「分かるかい?
 これがね、あなたの足跡だよ。
 よく頑張ったね。」

それまでは、その量を感じさせずに
しれっと進める。

しれっと進めるためには
指導者の方が
心を乱してはならないのです。

親御様も指導者も、
それでなくても、
ともすれば期待し、
結果を急ごうとします。

なぜなら、期待して当然、
結果を早く見たいと思うのが
当たり前だからです。

そこをグッと辛抱して、
粛々とすすめていく。

その積み重ねの足跡を
そっと見返って微笑まれる。

「よく頑張ったね」

そういう言葉さえ無用になる
満々とたたえる微笑み。

静かですが、何よりも力強い。

 

 

 

 

 

 

 

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