少しとはいえもう軽く10年くらい前のものなのですが、ドラえもんのビデオが見つかりました。

ちょっと音楽代わりに流しつつ棋譜を並べていたのです。


しかし、今のCMとは一つレベルが上のように思えます。当時のものは。

最近のものは俳優とかでイメージ付けている感じがしますが…当時のものはなんとも。

心に染みるものがあります。

今のCMは全体的に若い人が作ってるのだろうか。まだ技術が育っていないのだろうか。

いや、僕が少し考えが古いだけかもしれない。考えというよりも、感覚。


アニメの方もまた芸が細かいです。

効果音が丁寧です、第一印象。あとはセリフ自体が懐かしみを醸し出すくらい素晴らしい。

大山のぶよさんはすごかったんですね、いや、他の人もすごいのですが名前が浮かばないのです。

今の声優さんもあと20年くらいすればああなれるのだろうか、人間のいいところは成長する所だと思うのです。

その点があるからこそ長いアニメには少し面白みが出てくる、利益を追求するだけでなく、自分の仕事に誇りをもってこだわってもらいたいものです。


最近は夢が叶いやすくなりました。アニメ関係では。

そのかわり夢がかなったあとの競争が厳しくなっているのか。

結果がでないと続けられない、だから大量生産で数を打つ感じになっていると予想してみるのです。

昔は職人芸に思えるのです。今はどうでしょう、作業?作業というのは適切じゃない気がする。

だけれど、今は昔と比べると一段階下げて質より量という感じがしてなりません。


しかし最近のアニメを見ていないのにこんな文句かいてたら怒られる気がします。

金曜日の7時くらいは正座してテレビに向かってみることにします、そうします。

私は対振り飛車にはほぼ確実に棒銀を指します。

もし中飛車、向かい飛車を指されたらどうしようか非常に困ります。

なので序盤非常にぎこちない動きになりまして、角を打ち込まれたりとかが多いのです。

三間、四間には棒銀なのです。

負けても後悔しません。むしろ誇らしく思います。


問題は対居飛車。

対居飛車は本当にわからないのです。

居飛車党なのに居飛車をさされたら一番困るという、パンダなのです。


しかしもう今日でそれもお終いです。

今までは相手が居飛車で攻めてきたらひたすら受けて飛車を使わず相手の飛車を使わせない方針で指していました。

なのでこちらが攻めていることが少なく、終盤で攻め合いにならずに一方的に負けることもよくあったのです。


私は今日朝食を食べているときに思ったのです、居飛車にも棒銀を使えばいいじゃないか、と。


棋譜が欲しいです。

私は棋譜を並べるのが好きなのであります。

頭で並べられればいいのですが、そこまで高度な知能は持ち合わせていないのです。

そして、棋譜を手に入れる術がわからないのです。

とりあえずは手元にあるものを今は大事にしたく思います。

ないものをねだっても仕方がないと思うのです。


もう今日からは棒銀に生きて、棒銀に死にたく思います。

シンクロを見ていて思ったのであります、芸術は進化する、と。


目標はミルク・クロコップ、エドウィン、大根を棒銀で倒し皿洗いの称号を手に入れることです。


人間ぎらい/モリエール
ついにまったくイメージがなかったのですが。
この劇は名作だと思うのだけれど、なぜだ、なぜ皆読まないんだ。
いや、読まないのはいいにしても、なぜイメージがないんだ。

喜劇なんです、読んでて可笑しい。

それでもこの喜劇は見方をかえると悲劇でしょうね。


人間嫌いになる理由はわかるのです、不条理を嘆いているのが伝わってくる。

しかし、それでも、不条理に合わせないと生きていけないのを理解しているのは大人だな、と思ったのでありました。


不条理に合わせないと生きていけないこの世の中こそまさに、と思うと沈んでくるのでありますが、

あわせない実直なのはこうまで滑稽なのか、とも思うのです。


こうみてみると異邦人のムルソーと人間ぎらいのアルセストは一部かぶってみえます。

それでも性格はまったく違う、一度対談させてみたら面白いに違いないと思うのであります。


書き方次第でこうまで変わるのか、とも思わされた一冊です。

不条理がテーマではないけども、見方によっては色々思える作品だと思います。