5月はじめに学童保育の利用をやめ、娘に一人で留守番をさせるようにした。
それから数週間が過ぎたが、特に寂しがる様子もない。
スマホを与えてあるので、夕刻にはLINEで「帰ってきたよ」と連絡がある。こちらからLINEを入れる日もあるし、忘れてやり取りしない日も結構あるが、まぁそれはそれだ。
仕事を終えて帰宅し、玄関に娘の靴が揃えて置かれているのを見ると、今日も大丈夫だったなとホッとする。
学童保育に迎えに行く手間もなくなり、少し楽になった。順調に過ごして行けそうに思えていた。
今週、月曜日の夜のこと。
ランドセルに入れてあった娘のノートに、何やらたくさん付箋が貼られているのに気付いた。
開いてみて唖然とした。
宿題の漢字ノートが、ほぼ全くやってなかった。
ほぼというのは、所々につまみ食いのように手を付けた形跡があるからだが、取るに足らない僅かな量で、全くやっていないと言って構わないレベルだ。
多量の付箋は、先生から「やりなさい」と、指摘で貼られたものだった。
算数の宿題ノートも似たりよったりで、国語よりはマシだが、やはり多量の付箋が貼ってあった。
都度、日付を書いていないのではっきりわからないが、たっぷり3週間分は溜まっている。学童保育を辞めた後からだろう。先月分のページには、花丸がいくつも打たれており、落差が悲しい。
どういうことだと娘を叱ったが、全く要領を得ない。叱られたことに縮こまってしまい、ボソボソと謝るだけだ。
学童保育では、入場したらまず宿題を終わらせ、その後に遊ぶルールになっていた。お陰で、僕がとやかく言わなくても、帰宅するまでに、まず間違いなく宿題を終えていた。
宿題の中身についても、娘の方から相談して来たときは別として、いちいち確認していなかった。自分も子供の頃、親に勉強を教わった記憶はないし、本人に任せるべきだと思っていたこともある。
しかし、無頓着すぎた。学童保育がなくなり、宿題の時間がなくなったせいで、怠けてしまったのだろう。
とはいえそんな僕も、「宿題終わった?」という確認だけは毎日していたはずだ。娘はそれに対し「終わったよ」と答えていた。つまり誤魔化し、嘘をついていたわけだ。
サボったこともショックだが、嘘をついていたことがもっとショックだった。
小学4年生。
素直に見えるが、そのくらいのことはするのかも知れない。自分はこの年の頃、どうだっただろう。嘘などつかなかった気もするが、得てして記憶は都合よく書き換えられるものだ。つまらない思案をしていても意味がない。重要なのはリカバリだ。
「今日から、遡って全部やるよ!」
「分かった!」
娘は納得してくれた。国語、算数、同時にやらせたいところだが、まずは国語を片付けよう。
漢字ノートなのだが、昭和の頃のような単純な書き取りでなく、漢字を使った熟語をいくつか書き出し、意味をネットで調べ、さらに熟語を使った短文を考えるという内容になっている。
さすが令和の教育だ。しかし裏を返せば、面倒くさい。一日数個の漢字が課題になっているが、まとめてやると結構な量だ。こんなものまとめてできるはずがないと言いたいところだが、自業自得なので仕方ない。
リビングのテーブルに娘を座らせ、向かいの席に僕が着いて、数週間前の課題から取り組ませた。
しかし始めてみると、内容もさることながら、文字の汚さが見るに耐えない。そちらの方を叩き直したくなってきた。
「左右が揃ってない」
「上下が揃ってない」
「字の右側が脱力してる」
普段は気にかけてもいないのに、気になり出すと急に細部まで口を出す。職場の上司なら最も嫌われるタイプだが、ここは職場ではないから構う必要はない。よい機会だから徹底的にやる。
今回の件をカノジョに打ち明けたら、
「きっとパパに言われて、今後は改心すると思うよ。時として自由を満喫したいときもあるんだよ。人間だもーの。」
と言ってくれた。確かにそうかも知れない。
話が全く飛躍するが、こんなものがある。