ブログをはじめて2ヶ月になる。当初に比べ変わってきたところもあるので、気持ちについて書いておこうと思う。

初期の頃の「悩みの割合・自責は敵」という記事に、悩みの割合を、

・喪失の悲しみ:6割
・未来への不安:4割

と書いている。
これを今の気持ちで書き直すと、

・喪失の悲しみ:2割
・未来への不安:8割 

といったところかと思う。
むしろ、1割、9割に近いかもしれない。いずれにしろ割合は変わってきた。


例え話になるが、こんな風に考えている。

暖かい部屋でくつろいでいたとする。
ちょっと用事で、薄着のまま寒々しい外に出てしまったとする。
しまった、部屋に色々置いてきてしまった、取りに戻ろう!と思う。
ところがどうやっても扉が開かず、さっきまでいた部屋に戻れない。
あの暖かい部屋が、扉一枚隔てた向こうに今もあるのに、もう戻れないのか?
そんなばかな、何かの間違いだろ?と試行錯誤し、なんとか戻ろうとする。しかしどうしても戻れない。
そんな状態が1ヶ月も続いたら、だんだんとあきらめざるを得なくなってくる。どうやら本当に戻れないらしい。喪失を悔やんでも仕方ないし、認めるしかないか。
このままここにいても仕方ないから、今持ってるものだけを頼りに歩いて行くしかないな。
でもどこまで行けばゴールなんだろう。
というか終わりはあるんだろうか。それまで耐えられるんだろうか。

といった心境か。
全く伝わらない例えのような気もするが。

とにかく当初は、病気を疑っていなかった頃を振り返る気持ちが強かった。しかし次第にそれよりも、未来の不安が大きく感じられるようになってきたという話しだ。


もちろん、振り返る気持ちは今もある。特に昨年の夏、暑かった8月頃をしばしば思い出す。

その頃、6歳の娘と風呂に入るとき、毎日のように、

「夏はキライだ、暑いのはキライだ、暑いと外で遊べない、早く秋になれ、冬になれ!」

と話していた。

夏をディスるという、それだけの会話が、何故か娘のツボにハマったらしく、風呂に入ると娘は毎日、楽しそうに語りかけてきた。

「今日も夏のイヤなところ話そう!」

そうだね、パパもほんとに夏はキライだよ、だから涼しくなったらさ、

「色々遊びに行こうね」
「冬はいいよね、クリスマスもあるし、お正月もあるし」

と話し合った。

そうしてその夏の暑さがまだ残っていた9月10日、市民病院の診察で、にわかにALSの疑いが現実味を帯びることになった。

その日の夜も、娘は「夏のイヤなところ話そう!」とせがんできた。

しかし僕は、いつものように、そうだね涼しくなったら色々遊びに行こうねと答えることができず、ちょっと躊躇した覚えがある。

それからもしばらく、夏のイやなところを話すとき、秋や冬にはどうなっているんだろう、クリスマスや、お正月はどうだろうと、先を考えて不安になった。

結果的には、クリスマスもお正月も、楽しく過ごせたと思う。それぞれの状況の中で、楽しさはあるんだと感じた。
繰り返し書いているが、妻の友人や、ブログの皆さんのお陰が大きい。

それからやはり、妻と娘との3人の生活は、僕には相変わらず楽しい。どんどん色々なことが達者になる娘と、言葉少ないながらも相変わらずのセンスで笑わせてくれる妻のお陰だ。

自身の不安以上に、妻が抱えているだろう不安を考えると先が見えないが、どんな状況でも楽しさはあると考えはじめている。