格闘技、、とくに相撲をこよなく愛する印象深いお顔の内館牧子先生がこんなことを呟いてありました。早速、先生のお言葉を代読させていただきます。”桜が満開の坂道で花に気を取られて派手に転倒してから2ヶ月になる。右足の甲部を骨折に今も、ギブスに車椅子である。この2か月間たくさんの友人知人からお見舞いの電話や手紙メールが届いたのだが、びっくりした。あまりにも多くの友人知人が、この2,3年の間に転倒していたことである。そのほとんどが60代

 

で、手術や入院それにギブスを経験し、口々に言う。”手すりとかに、つかまって注意深く歩かないとダメなんだと身に染みたよな”とか”転ぶのが、一番怖いのよ。このトシになって骨折すると、治るのに時間がかかるしさア”。それにしてもだ。60代でそれも私の身近かなひとたちが、こんなに転んでいるとは思わなかった。つまり私もそうだが60代は若いと思っていることだ。頭は記憶力が少し落ちたとはいえ、生活には何ら問題はない。足腰は弱ったとはいえゴルフ

 

もできるし満員電車のも乗れるし、杖も歩行器も無縁だ
酒は弱くなったとはいえ「付き合い程度」よりはるかにイケる。だが筋力やバランス力は確実に衰えている。私もそうだが。そこに思いが至らないのが60代なのだ。これが70代以上になり「後期高齢者」になると周囲からも”転倒に気をつけて”とうるさく言われ本人たちも自覚して気を配る。だが多くの60代は自分がそこまで行っているとは考えない。60代の多くは心と体のギャップに気ずかない。気付いてい

 

るが認めたくないのでなく私もそうだが本当に気付かないのだ。だから横断歩道で走ったりする。しかし身体は正直で転倒する。まだ血気盛んな印象もあり注意なんぞした日にゃ、”老人扱いするのかッ”って怒られそうな気持にもなるかもしれない。本当に若くて転倒とは無縁の50代以下と本人も周囲も注意している70代以上との間で60代は微妙な立ち位置なのだ。しかし60代は間違いなく「転倒注意年齢」であり周囲が注意しないなら自分で注意するしかない。

 

骨折経験者は痛い目にあったことで自覚する。私もした。が、困ったことに60代の少なからずは、この自覚が長く続かない。日がたつにつれ転倒したのは”たまたま”だと思ってしまうのだ。私も全治6か月と言われながら1ヶ月で医者に聞いた。”そろそろワインいいですか”。分かるなあ牧子先生の呟き。私は80に手の届く年になりましたが男の意地というか、まだイケると思いながら社交ダンスで足をもつれさせながら意地を継続しています。

  94歳になられる方に”加齢とはどんなものですか”と

  お訊ねしますと”未知の世界を行くが如し、こればっか

  りは本人でないとわからない”と仙人のようなお答えが

  返ってまいりました。日経新聞をくまなく目を通し     

  て、”今の日本は大局を見失おうとしている”と鋭く指

  摘されます。     ひれ伏したい。 ぐっさんハイ

長屋住まいのリフトで一緒になった婦人が細いスマートな方でしたから”暑いですから溶けないようにご用心”と言いましたら”はい”と素直な返事が返ってきて”あなたも溶けないようにしてください”と言われました。こんな会話が自然なような異常気象が続いています。被災に見舞われた方々も”こんなことは生まれてはじめて”だとか”死ぬかと思った”という言葉が当たり前だのクラッカー(駄洒落ですみません)という気象状況になってしまいました。行政はシャカ

 

リキになって過疎地の再生を叫び若者の招致を呼び掛けてはいますが、カネや太鼓で声を嗄らして、おいでおいでをしている方に叱られるかもわかりませんがムリがあるんじゃないかと思いますがねえ。異常気象に多大な悪影響を及ぼしている車屋はヨーロッパでは2040年からガソリンや重油で走
る車の発売を禁止するという措置が取られるそうですね。そこで老兵の提案なんですがアメリカのトランプ大統領や中国の習近平氏には毎日、陸地が削り取られる南太平洋の島で実

 

際にてめえたちの国の惨状をしかとみてみたらいいと思いますよ。さて本題に移りますが、此間あらッと思ったのは、公共施設の図書を覗いたときですが「眠りながら新聞をお持ちになることはご遠慮ください」という走り書きがあったのにはニヤッとしました。プールでも「ご自分のタオルかどうかお確かめください」とありましたが、これは早合点するひともいますから一概に高齢者向けということではありませんが、赤い文字で強調しているのが気になりました。それから

 

毎年、この時期になりますと長屋で夏祭りがあります。子供たちや若い衆は張り切っていますが、我々年長者には年々負担になってくるんです。私は「忖度」をイヤというほど体験して総会なんか顔を出すのも億劫になって、かみさんに頼んでいます。その代りゴミ出しの日は私がやるということで、かみさんがイベントなど住民の活動には参加するようになったんですが、かみさんだって年を重ね、アチコチ痛いところがあるなか、老体にムチを打ってボランティア活動に顔を出

 

していますが五体不満足の方々が長屋のイベントを支えているんです。もうすぐイベントを縮小するとか、銭を出して業者に頼んで継続をするかという瀬戸際に立たされているんですよねえ。誰だって年はとりたくありません。が、年は容赦なくとらされてしまう、、。まあ、この年になりますと如何にサバイバルゲームを楽しく愉快に過ごしていくか、その辺が生きがいみたいになっていきますよ。夢を持て!、目標に向かってすすめ!とハッパをかけているセンセ、あなただって肩で息をするときが来るって。

 

 栄養満点のご婦人とエレベーターに乗り合わせました。

 あたしゃ”この猛暑に負けないで溶けないようにして

 ください”と言いましたら、にっこりしながら”あた

 し少し溶けてもいいんです”と言われました。         

                   ぐっさんハイ

2015年5月に放送10000回を迎えたそうです。ですから今はさらに多くのゲストが出演していることでしょう。格納庫に埋もれていたんですが、私と同じ病気だった高倉 健さんが特別ゲストとしてテレビに出演されていましたのでお付き合いください。たしか何回目かの記念放送だったと思いますが病気仲間と言ったら、ぶっとぼれそうな健さんが若かりし頃に出演した録画が放映していました。早口でおしゃべりの徹子お姉さまが無口な健さんを苦心しな

 

がら健さんの重い口を開かせるインタビューをしていたシーンが忘れられませんね。その場面はなぜ健さんが役者を目指したかという徹子さんの問いに”上京してきて本当はいやだってけど食うために役者になった。顔に白粉をつけたときは鏡を見て涙が出た”とポツリ。”どうして東京にお出になったの?”と徹子お姉さま。息が苦しくなるほど沈黙が続いたあと”オンナを追っかけてきたんです”と
健さんらしい正直な答え。徹子お姉さまは話題をかえて”今でも必

 

要というのはどういうとき?”とたずねたら”そうですね、、、”といったきり黙ってしまいました。健さんの顔を覗き込むと、何か答えを考えているとわかって、おしゃべりの徹子お姉さまも黙って待ちました。1分ほどでしょうけど、ずいぶん長く感じました。これがラジオなら機材の故障かなんかのトラブったと思われたでしょうが、健さんがじっと考えている顔はテレビならではの見ごたえがあるシーンでした。健さんはようやく口を開き”やっぱり幸せの追求ですか

 

ね”と答えが返ってきたんです。見ていたみんなが”よっ!高倉 
健!”と口にしそうな、ひと言でした。そういえば山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」というヒット作品の主人公のようなひと言でしたねえ。「遥かなる 山の呼び声」も山田作品でした。それに恋人と噂された倍賞千恵子と共演した「駅(STATION)」も印象に残った名画でした。そういえばアッチの世界では裕ちゃんや世界の三船など錚々たる、役者が勢ぞろいして、さぞかし重厚な映画が鑑賞できるかも。


 小話:東京で遊学中の息子から電話が掛かってきました。

  息子”金がなくなったけん1万5千円送って”。母親”振り

 込め詐欺が流行っているけん、あんた本当にOOね”。息子

 ”俺たい、たった1万5千円ば詐欺なんかせんよ”。(おい!
 バカ息子あんたには1万5千円は、はした金じゃろうが親に

  とっては大金ぞ)              代読 ぐっさんハイ