元ぶん屋であるKさんの昔話を聞きに行ったときに受付でシルバー大学
なる学習課程の一貫として筑豊の炭坑跡地と福岡県で2ヶ所しかない
村落・赤村を訪問するという企画に応募しました。その日は大雨で大雨
警報が出ていましたのでキャンセルではと思いながら集合場所に行きま
したら、皆さんが傘を差しながらバスの来るのを待っていました。その
昔、西川峰子という歌い手の出身地ということぐらいしか印象に残って
いませんでしたが地元では西川の、にの字も出ませんでした。赤村へは

バスがやっと通れるぐらいの細い道を大雨の中の強行小旅行でした、ふ
と谷間を眺めていましたら黒沢映画「七人の侍」を思い浮かべるような
深い谷底がありました。赤村のまえに田川の石炭博物館で世界記憶遺産
に登録された山本作兵衛氏の炭坑記録画及び記録文書や朝ドラで人気を
博した炭鉱で働いていたひとたちが住んでいた長屋に案内されて「あさ
が来た」の主人公あさが真っ黒な顔をしながら”どちらからおいでまし
た”と声がかかるような長屋のセットを通り抜けて赤村をめざしました。

赤村に着きましたら昼食を温泉宿でとり時間を持て余した私は工事現場
のようなおっさんが風呂のチケットを売っていましたので”温泉は出る
とですか”と不躾な質問をしたらジロッと睨まれて”出ると”と倍返し
のような答えをもらい、”民間経営じゃなかとでしょう”と聞きました
ら”半官半民!”と答えが返ってきました。どしゃ降りの中、農産物の
販売所に連行され、どれだけ買わされたら次に移動するのかというぐら
い店内に留め置かれて小さな集会所に案内されました。しばらくして、

小柄なおばあさんが現れました、私は一緒にきた町内のおばあさんかと
思っていましたら演台のまえに立ち、”皆さんようこそ赤村においでま
した”と開口。”この販売所のリーダーとして20年勤め、今86歳に
なります、ここで働いているひとは平均年齢は76歳、70台は鼻垂れ
小僧ですばい”と気合いを入れられました。収入が月20万になるとい
う話にほ~っという声があがりました。自慢話のあとは赤村賛美の歌を
合唱してお開きとなりました。お土産に瓶詰めのジャムを頂き、ツアー
に参加して良かったと思いました。

 
  この奥くばった村落は小倉城が拠点の小笠原藩の出城というか
 砦のひとつであったというくだりには興味を覚えました。一度
 は行ってみたいと思った村落も意気盛んな女性軍の熱気に火傷
 しそうになりました             ぐっさんハイ
これも「深夜便」での話なんです。ハービー山口と名乗る方でしたから
てっきりハーフかなと思っていましたら純国産だそうで、幼いころお父
さんっ子でよくお父さんの膝のうえで話を聞いていたそうです。ところ
がお父さんは胸を患ってあったため肺病にはなかったものの骨に転移
して歩行が困難になり、学生時代はいじめられたそうです。自身も自分
のような人間は世の中で生きていく価値はないと思いながら生きていた
そうです。そんな、うじうじした気持ちを断ち切るように大学卒業後に、

思い切って渡英し、およそ10年間イギリスで過ごしたそうです。もちろ
ん金なし職なし名なしの極貧状態でイギリスに渡ったわけですから食う
のに寝るのにも困る状態だったそうです。ところが幸運なことに遥々海
を越えてやってきた青年を親切に受けとめてくれた大家に出会ったそう
です。地下室の薄汚れた部屋で水だけ飲んで3日も過ごした日もあった
必死で職を探す日々で日本人の劇団に役者としてもぐりこんで糊口を、
しのいだそうです。ところが以前から写真家になりたいという願望を捨

てきれず劇団を辞めて1か月後にある写真家と出会い暗室を貸してもら
って100枚ぐらいプリントしたら、みんながいい写真だとほめてくれたのが
縁で一緒に住んで3年間暮らして大きな写真展をやらせて頂いたり、初
めて孤独感から救われた3年間で素晴らしい出会いがあった。70年代
の生きたロンドンの姿を写真集が高い評価を受けたとHPにはありました
写真家として名をあげた山口さんは”日本に居たころは、いじめられ自分
でも必要のないひとだと思って無意味に生きてきた。でも渡英したら自分

の過去がなくなったんです、つまり渡英したことで今の自分を認めてくれ
る世界があった。褒められるなんて自分には無縁だと思っていたが大い
に自信を持った。親切な大家に出会ったのは私だけでなく先に大スターに
なったボーイ・ジョージ(英国の人気ミュージシャン)も地下室を出て行った
ある日、歴史上最も偉大な100人のシンガーのひとりと乗り合わせて撮影
を願い出て運命が変わった”と述懐する山口さん。如何です、この出前を
ご覧のあなた、思い切って新しい世界に飛び出してみませんか。


    いじめたり いじめられたり、そんなジパングを飛び出して
  自分探しをやってみませんか。 元出稼ぎ組 ぐっさんハイ

   
除夜の鐘がうるさいからと自粛するお寺が多くなったと嘆き節を出前し
ましたが東北地方では「ナマハゲ」も変身しているそうな。”悪い子は
いねえが~!”、鬼のような風貌で模造の包丁を手にして大晦日の晩に
子供のいる家を訪ね歩く。その荒々しさに怯えた子供たちは泣き叫びな
がら家中を逃げ回る、、秋田県男鹿半島周辺に伝わるナマハゲ。この奇
習が変貌しつつある。”あまり子供を怖がらせないでほしい”との要望
が多くなって「鬼」が優しくなってきているというのだ。主催者側が、

事前に各家庭に電話連絡すると、そもそも訪問を拒まれることが多い。
”集落140軒のうち子供がいる家庭が15、6軒。そのうち家に入れ
てくれるのは5、6軒になってしまった”(主催者)。そこで子供を戒
めるだけでなく宿題の面倒をみる「オプションサービス」が登場したと
いうのだ。ナマハゲが玄関先に現れると子供たちは最初はギョッとする
が”宿題やったか、どれ見せろ”などと優しい言葉をかけられるうちに
場がなごみ、楽しげにテーブルを囲むこともある。”怖いばかりじゃ、

受け入れてもらえないかといって戒めの意味が消えるのも寂しい。時代
のニーズに応えていかねば難しいですよ”とは主催者の弁。一方、道徳
教育には欠かせない二宮金次郎像が全国の小学校から姿を消しつつある
そうな。かの国では慰安婦を象徴する
少女の像があちこち建立されてい
るというのに。昨年3月1日、栃木県のとある小学校。除幕式で披露さ
れたのは背中に薪を背負ったまま切り株に腰を掛け、読書にふける二宮
金次郎だった。歩きながら本を読むお馴染みのスタイルが、なぜ座って

読書する金次郎になったのか、、。つまり寄贈した団体が”歩きながら
スマホを操作する行為を肯定しかねない懸念や歩いて本を読むのは危険
だという市民の声も聞き座像にした”とコメントしたそうな。「市民の
声」が金次郎を座らせたのだ。あたしゃ立像が歩きスマホを誘発させる
とは思いませんが、そのほか”子供が働く姿を勧めることはできない”
という教師や”戦後教育の名残”という保護者。それに「ナマハゲ」の
奇習には”児童虐待だ!”と声高に騒ぐひともあるそうな。今年も日本
文化の崩壊の立会人になるんでしょうかねえ。


   孫たちに アドレス聞かれ番地いう メカ音痴 ぐっさんハイ