佐伯訪問記⑭―蒲江編No.1― | 大神回天基地ブログ

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太平洋戦争末期に出現した特攻隊。大分県日出町にあった人間魚雷「回天」の訓練基地・大神基地の歴史や基地設備及び「回天」の開発経緯・構造・作戦内容(神潮特別攻撃隊)を紹介します。また大神基地に関連した空母「海鷹」等の艦艇や使用武器について紹介もしていきます。

佐伯への戦跡巡りの気楽旅も、ついに大分県最南端蒲江まで来ました。
ここに来たのは海龍もしくは回天の壕があると聞いたからです。

行ってみるとある文献によると、「文化センターの近くにある4階建ての市営住宅の近くにある」とのことでしたが、現地を訪問してみると「文化センター」はなく、それらしい建物だった蒲江町中央公民館から見える市営住宅は5階建て…(。´Д⊂)

市営住宅の近くに行って見ても何もなく、ガセか?と思いましたが、ここで帰るのは勿体ない!ということで、蒲江町中央公民館に行って聞いてみることにしました。

するとそこにたまたま現地に行ったことがあるという佐伯市歴史資料館の館長さんがいて、現地を案内して頂けることになりました。
この館長さんはたまたま資料収拾のために公民館に訪れ、特に無かったので帰るところだったとのこと。ラッキーでした!(^^)


早速、案内して頂くと、現地に行くにはこのような所から入りました。柵を乗り越えて左側に向かいます。


看板には「鶯谷地区急傾斜地崩壊危険区域」と書かれてありました。
つまり市営住宅の裏側に落石防御の為のコンクリートの壁を設けた為、道路からは見えなくなってしまっていたというわけでした。


途中はこんな感じです。竹やぶを掻き分けるようにして進みました。


しばらく歩くと見えてきました。壕です!
残念ながら中は立ち入り禁止になっていました。


壕の内部はこのような感じです。
壕の長さは約20m、幅は約4mで高さも4m以上はあったかと思います。
左右に高さ約1.5mのコンクリートの擁壁を設け、画像からはわかりにくいですが、一番奥にはコンクリートで壁を固めていました。


かなりラフで申し訳ありませんが、その時に描いた概略図です。左は断面図・右は正面図になります。奥の形状がお分かり頂けるでしょうか?(^-^;


入り口付近の様子です。一応、柵が設置されています。

なぜこのような感じなったのかはわかりません。崩れやすいからでしょうか?
「回天基地設置規準」にもありませんでした。

このコンクリートの壁は海龍(もしくは回天)に乗り込む為だというではないか?という説も聞きましたが、何とも言えませんでした。

歴史資料館の館長さんによると、元兵士の方からの証言によれば、「昭和20年以降に建設が始まったが、完成する前に終戦になった。付近には別の壕があったが、残念ながら道路工事で壊されてしまった。中央公民館付近には「スベリ」があった。」とのことでした。

お礼を伝え名刺を渡して来ました。



壕があった鶯谷地区の遠景です。
左手の茶色の建物は蒲江町中央公民館です。


撮影したのは平和橋付近からです。
左奥の建物が5階建ての市営住宅です(^-^;
もう少し資料等を調べてみる必要があるかなと思いました。


一通り探索が終わった後は道の駅で腹ごしらえです。高速道路ができたお陰で蒲江まで行くのもとても便利になりました。


スッカリ観光気分ですが、あくまで戦跡巡りなので観光スポットには行っていません!(^^)

次は海軍の砲台があった仙崎に向かいます!(^^)

佐伯訪問記⑮に続く。