ベートーヴェンのように、才能に恵まれた人が、挫折したポジションから見えている風景は、名誉欲に囚われている心理では見えない風景が見えて。
龍安寺の石庭は無機質な[石]を見せている。
[石]に権威主義など、あるはずもなく、龍安寺の石庭は、権威主義をリセットする場所かも知れない。
ベートーヴェンは天才と評価され、彼自身もプライドの高い人物だったらしい。
そんなベートーヴェンは聴力を失って絶望の中にいる様子を、ドイツのTVは再現している。
ベートーヴェンは聴力を失って、自尊心も失ってしまった。
もう出世欲も名誉欲もない。
そんな達観した[無]の心理には、美意識だけが残っている。
純粋な美意識だけが残っている。
すっかり無欲で達観したベートーヴェンを聴くことができる。
ドイツのTVで「聴力を失ったのは、彼にとっては不幸でも、我々には幸せなことだ。」と解説をしている。
ベートーヴェンの心理状態を想像すると、純粋な美意識を感じることができる。
[負の資質]からも才能は生れている。
というか!
才能は欠点・欠陥から生れている。
日本人は自分だけ置いていかれるのが怖くて、ついていくと、どうしても一方方向に振れてしまう。
ついていくのは、判断してないのではなく。
ついていくという判断をしている。
振り子は、一方方向に振れると、傾きという[負のエネルギー]が蓄積して、やがて、それに耐え切れず、振り子は一気に反対方向に振れていく。
スパルタで価値のない人間として扱われ、そんな低い序列感覚が刷り込まれると、人は社交性や政治力を失ってしまう。
無能な人間になってしまう。
そんなスパルタな指導に魅力を感じなくなって、長嶋監督の「プラス思考」が評価されている。
日本人の能力は、流れに、ついていく、二次的・二番目がキーワードかも知れない。
日本人は優秀な二番手で、歩調を合わせて、ついていく。
群れて飛ぶ鳥は、上下左右に、突然の方向転換にも、ついていく。
一本足打法は、コピーではなく、形を変えて、二次利用されている。
日本人は二番目と二次利用という、急な方向転換にも、ついていく。
ついていくのは判断力がない。
というよりも!
群れて飛ぶ鳥のように、シンクロさせる一体感がある。
外国での群集心理は破壊的で、商品の略奪行為に、はしって復興できなくなってしまう。
B型は自己中と思われているけど、単独行動をする動物をイメージすると分かりやすく。
テリトリーをつくって、同じ種でも争いになってしまう。
強い相手に対しては、異常に怖がって、「コイツは弱い」と思うと逃げ出すまで攻撃して、弱者に対する同情心が無い。
というか!
テリトリーを、めぐっての争いには、同情心が無いというよりも、同情心は必要ない。
同情心は他人のカナシミを悲しんで、他人の幸福を喜んで、感情は同期している。
一匹が警戒音を発すると、群れは、次の瞬間、巣穴に逃げ込んでしまう。
一瞬で感情も行動もシンクロさせるのは、群れて暮らす動物にみられる特徴で、群れるDNAに起因して、一生変わらない。
日本人の、ついていく能力は、感情がシンクロしてしまうので、同情心に、つながっている。
ベートーヴェンのように、才能に恵まれた人が、挫折したポジションから見えている風景は、名誉欲に囚われている心理では見えない風景が見えている。
日本人は、場の空気を読んで、常に感情も行動も同期させている。
ベートーヴェンは[無]の心境で達観している。
そんな達観した心理まで同期させることができるのは日本人だけかも知れない。