欧米は、いきなり結論を言わなければいけないけど。
その点、日本語は、あいまいな表現でも成立するので、数学も基礎編と応用編に分けて考えた方が良いのかも知れない。
思考の入口は空想のような非科学でも良いので、基礎編として、入口として割り切った教え方は可能なのかも知れない。
しかし欧米では文法的に、いきなり結論を言わなければいけないので、いきなり科学的な説明を必要としている。
いきなり!
「1+1=1」や『不思議の国』を科学的に説明しなければいけない。
「ペニシリンを発見した細菌学者のフレミングは奇人変人なんですか?」と生成AIに尋ねると。
フレミングは科学者としての卓越した能力がある一方で、日常生活や対人関係においては奇行や変わった行動が目立っていたようです。しかし、そうした特徴が彼の創造性や発見力につながっていた面もあったと考えられています。奇人変人というよりは、一般的な常識から少し外れた個性的な科学者だったと評価できるでしょう。
教科書には載ってない記述がヒントになっていく。
元プロ野球選手の動画を見てると、バッティングでのタイミングの合わせ方に「2のー3」という間延びや[ゆっくり感]があることに違和感は感じないらしい。
バッティンに[ゆっくり感]があることを、どう説明するんだろう?
どうやら!
そこは悩むところではないらしく、なんの問題もなく受け入れている。
しかし!
そこは悩むべきところかもしれない。
タイミングの合わせやすい状況は、ボールがゆっくり見えたり、間延びのあるリズム感で見ると幅があってタイミングが合わせやすいみたい。
そんな[錯覚]から、ピッタリと合わせやすい状態が作れる。
[錯覚]することで[正確]に合わせることができる。
矛盾している。
やはり!
そこは悩んだ方が良い。
「数学も同じ、じゃないの。」
数学者の空想は個人な事情で[現実逃避]しているのかも知れない。
彼らは個人的な事情で[答え]を必要としている。
それは個人的な言い訳に過ぎない。
そんな個人的な事情を知れば「なんだ!」「そんなことか。」と理解できるのかも知れない。
学者の個人的な事情を知れば、彼らの常識をブレイクスルーしていく空想も理解できるのかも知れない。
しかし学者の個人的な事情は、学問とは関係ないので、教科書には載ってない。
やはり生成AIに「ペニシリンを発見した細菌学者のフレミングは奇人変人なんですか?]と尋ねれば良い。
今日では小学校の教室にタブレット端末があって、生成AIが利用できる環境にあって、学問とは関係ない個人的な事情を知ることで、基礎編と応用編に分かれることで、今まで日本人は[かやの外]にいて「教科書は正しい。」とだけ教わって、学者の常識をブレイクスルーしていく空想が理解できなかった弱点が、すでに解消されているのかも知れない。
むしろ!
とりあえず、ついていけば、そのうち分かる。
そんな日本人は、とりあえず、ついていくことで、空想という非科学的な思考は、基礎編として有り得て。
あいまいな日本人にはタイミングの合わせ方のような矛盾した基礎編が有り得て、それは!むしろ優位性かも知れない。