小学生も、大学生でも能力は、まだ実体化していない、現実化していないので可能性に過ぎず、これから開花する花が、どんな花なのか予測は難しい。
日本では既存の知識を覚えたかどうかテストしているけど、イノベーションは教科書を書き換えることになるという認識に欠けている。
むしろ人の能力は、いつもの畑から、見たこともない花を咲かせることができる。
それがイノベーションかも知れない。
そして日本の教育に欠けている点は、テストではなく、子供達から見たこともない花を咲かせようという意志も期待もないことかも知れない。
日曜日の朝の番組で、日本はAIでも「失われた30年」という話をしていたけど。
「遅れをとる」で検索すると。
先を越される、負ける、取り残される。
「教科書は正しい。」という現状維持で取り残されてしまった。
「イノベーションは規格外じゃないの。」
規格外は[×]をつけて排除してしまう。
エジソン少年は「1+1=1」と答えている。
「1+1=1」と答える子からイノベーションは生まれている。
規格外から、新しい発見はあって、それは、今まで「無価値」と思われてスルーしていたもので「捨てるものはないなぁ。」という印象を受ける。
野球でも古い成功例からも、まだまだ新しい発見や気付きがあって、そこからも「捨てるものは無いなぁ。」という余韻を残す。
「イノベーションは、どれもこれも価値が無いと捨てていたものじゃない。」
偏差値大学はテストで失敗している。
既存の知識を暗記させて、それと違うと[×]をつけて切る捨ててしまう。
しかし!
日本の欠点でもあった教育は、デジタル化で変化している。
AIの進化で記憶力や計算力、そして生成AIの進化で模範解答を速答する能力はAIを使えば良い。
なによりも!
周辺の知識から新しい発見も気付きも生まれている。
今までは、関係ないので切り捨てていた知識からイノベーションが生まれている。
記述式に変わると、従来のテストは無くなってしまう。
生成AIは過去の資料に過ぎないと言うけど。
古い成功例を「正しい」と教えるのではなく、新しい発見や気付きを得ることで[プランB]として組み立て直して、再出発するのもイノベーションかも知れない。
「テストは、もうどうでも良い。」
思考の初期段階はヒントで溢れて、宝島の地図で。
そんな広がっていく想像力で、古い科学から、新しい科学が生まれてくるのかも知れない。
小学生も、大学生でも能力は、まだ実体化していない、現実化していないので可能性に過ぎず、これから開花する花が、どんな花なのか予測は難しい。
日本では既存の知識を覚えたかどうかテストしているけど、イノベーションは教科書を書き換えることになるという認識に欠けている。
むしろ人の能力は、いつもの畑から、見たこともない花を咲かせることができる。
それが人の能力かも知れない。
子供達の能力は、まだ実体化できてない。
現実化できてない。
これからは!
記憶力や計算力そして模範解答を速答する能力はAIに丸投げすれば良い。
しかし!
子供達の能力は可能性に過ぎず、まだ能力として開花していない。
記述式に変えれば良い。
日本人は科学者というよりもエッセイストで、なによりも日本語は結論のない話でも、文法的に、ちゃんと成立している。
日本語は結論のないエッセイに向いている。
日本語は考えるための言語で、生成AIから周辺の知識に触れることで、古い知識から新しい発見や気付きを得ると。
まだ結論の無い、エッセイのような文章も、日本語なら有り得るので。
日本人は周囲を出し抜く能力にも意欲にも欠けているけど。
「うん!」
「なに?」
なにか変化しそうな気配に反応する。
そんな結論のない気付きに反応して、ついていくと、そのうち分かるので、記述式に変えれば良い。