田淵幸一は「インサイドアウトだ!」と言う。
田淵幸一は[答え]が必要で[答え]を探していると。
まずイメージがあって、言葉探しをしていて、フッと思い浮かんだのかも知れない。
偏差値大学からイノベーションが生まれてこないのは、その先の未来をイメージしてないからで。
ユダヤ人は自分自身のための未来を思い描いている。
まずイメージがあって。
思い浮かんだ、適当な言葉の類語で検索すれば「これだな!」という単語は見つかって、例文を読むと考える方向性がハッキリしてくる。
[インサイドアウトは正しい英語ですか?」と生成AIに尋ねると。
裏返しという意味で[アウトサイドイン]も同じ意味らしい。
バッティングでの「内から外は、英語でなんて言うの?」と生成AIに尋ねると。
英語で“inside out swing”と表現されます。
もしかして!
Inside outには元々【裏返し】とか【完全に】という意味しかないらしく、日本製の英語表現かも知れない。
適当な英語がないため、それが今ではアメリカでも通じるようになったのかも知れない。
これもイノベーションかも知れない。
『ローマの休日』を書いた脚本家トランボは赤狩りで祖国から追放されて『パピオン』のような救いのない絶望的な物語を書いている。
トランボは存在を否定されて、どうしてこんなことになるのか[答え]が必要だったのかも知れない。
今・この瞬間!自分の身に起こっていることに呆然としている。しかし怒りや恐怖という現実感に気持ちは大きく揺さぶられる。そんな心境だったのかもしれない。
トランボにとって『ローマの休日』はおとぎ話ではない。
彼は現実を受け入れることができない。
[答え]が必要なのも。
考え続けるのも、現実を受け入れることができないからで。
学者も同じかも知れない。
ユダヤ人に学者や芸術家が多いのも、現実を受け入れることができない。
ユダヤ人には[答え]が必要で[答え]を探している。
[答え]にはイメージが必要で・・・。
イメージから連想が働いて、組み立てているのかも知れない。
映画の脚本家は不幸なら不幸なほど面白い本が書けるという。
トランボには[答え]が必要で。
『ローマの休日』を見てると、トランボには、イメージはあるのかも知れない。
何度も何度も書き直している。
しかし、肝心な映画の結論がハッキリしない。
「ハッピーエンディングは正しい英語ですか?」と生成AIに尋ねると。
「ハッピーエンディング」は、英語では “happy ending” と言います。この表現は、小説や映画などの物語が都合よく幸福な結末で終わることを指します。
トランボにとってハッピーエンディングよりも大切なものがあるみたい。
そんな心理を想像してみれば良い。
同じように学者の背景を知ると、面白い想像ができて。
学者の背景を知ると、何が重要で、何を言いたいのか感じ取れるはず。
そして、そのプロセスから思考力が見えて面白いはず。
偏差値大学からイノベーションが生まれてこないのは、その先の未来をイメージしてないからで。
ユダヤ人は自分自身のための未来を思い描いている。
ユダヤ人やトランボは[希望の地][安住の地]を求めている。
[ひらめき]や気付きも。
追い詰められた感情に背中を押されている。
彼らはハッピーエンディングのためにも。
[希望の地]や[約束の地]
それがどんな所か、まずイメージが必要なのかも知れない。
満たされた思いからは[ひらめき]も気付きも生まれてこないのかも知れない。
もっと[負の思考力]に注目しても面白いのかも知れない。