映画の脚本家は不幸なら不幸なほど面白い本が書けるという。
何度も何度も書き直している。
しかし、そんな時の心理状態は「もう同じ人生は、御免だ!」と固辞しているのかも知れない。
何度も書き直すたびに「イヤだ!」という思いが濃くなってくるのかも知れない。
映画の脚本家に思い浮かんでくるセリフは「もう同じ体験はしたくない」という思いから、さりげないセリフにも、感情が、こもっている。
[ひらめき]は幸せな余韻から生まれてくるものなのに、脚本家の実感のこもったセリフは。
[負の体験]から生まれている。
スピルバークは無類の怖がりだったらしく、映画のリアリティーは、そんな怖がりという[負の資質]から生まれている。
学者も同じように[負の環境]に注目すると分かりやすいのかも知れない。
それとは逆に!
偏差値大学からイノベーションが生まれてこないのは、そんな子は模範解答にピントの合う子で「この子は賢い子だ。」と褒められ、幸せな気持ちで満たされているので、当然ペーパーテストには疑問なんか感じてはいない。
現状維持を望んでいるので、イノベーションという技術革新が生まれてこない。
模範解答を即答して、終了している。
もう考える必要がない。
逆に、何度も何度も考えているのは、PTSDのようにリアリティーに捕まっている。
檻の中のライオンが行ったり来たりを繰り返しているのはストレスが原因らしい。
映画の脚本家は「同じ人生は、もう二度と御免だ!」と思って、そこから逃げ出したいと思い続けている。
「もう、そこから逃げ出したい。」という気持ちが最優先で、思考には優先順位が生まれている。
[ひらめき]も気付きも、現実から逃げ出したくて、考える方向性が生まれてくるのかも知れない。
満たされた感情は、すでに終了して、考える方向性は生まれてこない。
偏差値は、どういう才能を表しているんだ?
東大は欧米の大学と比べて、実績では、かなり見劣りしてるのは、一分以内に答えることを求められているからで、何度も何度も考える時間のかかる自信のなさは、入学試験では欠点でしかない。
進学校では高3で学習する内容を、前倒しで、高2で学習している。
そのため!
浅い理解で納得する生徒が生き残っている。
東大生の話し方にリアリティーを感じないのが気になる。
今では教室にタブレット端末があって、児童は生成AIが使える環境にいて、生成AIがアップデートされた最新の知識を教えてくれる。
教科書は要点だけを伝えて、目次化されて、説明不足で、しかも最新の知識ではない。
もしかして!
児童は生成AIから、学者は[負の環境]にいたことを実感するのかも知れない。
教科書とは違う角度から学ぶのかも知れない。
負の側面から入った方が分かりやすい。
[ひらめき]や気付きは。そんな負の環境から逃げ出して[安住の地]をイメージしている・・・。
そして!
新しい土地で、ホッと安心している。
それが!
学者の[ひらめき]や気付きかも知れない。
もしかして!
生成AIは、そんな逃げ出したいという[負の思考]を描写するのかも知れない。
やがて!
そんなタブレット端末にリアリティーを感じて、[教科書は正しい]とだけ教える教科書には意味を感じなくなる。
そして!
生成AIによって、否定で考える学者の[負の思考力]という印象から、テストは意味を失うのかも知れない。