「レオナルドダヴィンチはADHDなんですか?」とチャットGPTに聞くと。
はい、そうです。
イノベーションは、何度も何度も組み立て直している。
イノベーションと学習障害は似ているのかも知れない。
本を読んでると、フッと思い浮かぶものがあって・・・。
連想ゲームが始まってしまう。
結果的に!
気が散って、集中力の持続性が無い。
突然イレギュラーバウンドしている。
そんなところが発達障害と似ているのかもしれない。
しかし!
一本足打法を見て「真似るもんじやないなぁ。」と誰しも感じるはず。
一本足打法はヒントではあっても、答えではないという印象を抱くはず。
話の出発点ではあっても、終着点ではない。
「有名な学者の意見も同じじゃないの。」
常識をブレイクスルーしている。
ほとんどは空想で、仮説に過ぎない。
話の始めであっても結論ではないという印象を抱くはず。
仮説を100%正しいと考える人はいない。
仮説はヒントで「正解はこれから。」と感じている。
生徒の学習能力も100点満点で70点くらいが丁度バランスが良いのかも知れない。
受け入れる理解力と、そこからの発想の転換も必要で、70点くらいにバランスの良い生徒がいるのかも知れない。
そして!
有名な学者は常識をブレイクスルーしていく。
彼らの意見は、ほとんどが仮説で、ヒントであっても、まだまだ正解ではないなと感じるはず。
そして!
出発点であっても、結論は、まだないと感じるはず。
そんな学者の発想はテストに、なじまない。
むしろ常識が壊れている。
日本の偏差値大学は教科書に忠実で、100点満点を求めるので、常識をブレイクスルーしていく学者が育たない。
天才を発達障害で説明するのは、やはり!間違っているのかも知れない。
しかし!
医学が進歩すると「レオナルドダヴィンチはADHD」という意外な展開をしている。
同じことを何度も何度も繰り返していたり。
逆に、フッと思い浮かぶものがあって・・・。
連想ゲームが始まってしまう。
結果的に!
集中力の持続性が無かったり。
発達障害の子に似ているのかも知れない。
発達障害と天才が似ている。
現象面は似ている。
日本では模範解答にしか「〇」をつけないので、発達障害も天才も落ちこぼれてしまう。
そこが問題点かも知れない。
しかし!
教室にタブレット端末があって、模範解答を速答する生成AIが使える環境で、そこから連想ゲームをする子がヒーローになっていく。
発想力や分析力は連想ゲームで、予想外な展開をしていく。
それとは反対に!
生成AIには、正確で最新の模範解答を速答して、100点満点の正解を求められている。
生成AIのように、決められた通り答える偏差値型の優等生の答えは「発想力や分析力がなく、つまんない!」
「そんな答えなら、教科書に載ってるじゃない⁉」と東大生に言いたい。
しかし!
知能のない生成AIは悩まない。
教科書は格付けが上位の知識なので、生成AIは、奇妙な意見でも、悩むこともなく、採用していく。
そして!
教師は「思考の初期の段階は、空想のように科学ではない。」と教えるように、なっていくのかも知れない。
タブレット端末の利用で、学者の非科学的な発想は悩むところじゃなく、学者の空想は、理解ではなく、ディズニーランドのように体験すれば、きっと楽しいはず。
やがて「正しい」とか「間違っている」という価値観に意味を感じなくなって、いくのかも知れない。