日本人は常識人が多く、自然災害で被害を受けても秩序正しく振舞って、決して略奪行為に、はしることもなく、同情され、支援されている。
破壊的なエネルギーから、そんな建設的なエネルギーが生まれてくるのは日本だけかも知れない。
ベートーヴェンは、もう耳が聞こえない。高い所から落とされたボールは跳ね返る瞬間があって、明るい光が見える瞬間があったのかも知れない。
[ひらめき]をいう時!
床に置いたボールが突然跳ね上がることはない。
上から落とす[負のエネルギー]があって、跳ね上がる[正のエネルギー]は生まれてくる。
破壊的なエネルギーから、そんな建設的なエネルギーが生まれてくるのはベートーヴェンだけかも知れない。
外国では自然災害にあうと略奪行為に、はしって、地域の経済さえも破壊してしまう。
これでは復興できない。
しかし!
日本人は同情心がつよく。
上から落ちる[負のエネルギー]から跳ね上がる[正のエネルギー]は生まれている。
ただ!
日本には常識人が多く、それは間違いなく良い点だけど。
だけど!
イノベーション能力は「常識なんか、もうどうでもいい。」「常識なんか守るべきものではない。」という負の心理状態から生まれてくる。
しかし!
日本では模範解答を速答する偏差値型の優等生しか生き残れない。
常識は皆が正しいと思うもので。
そして非常識は皆が間違っていると感じるものだけど。
ユダヤ人から、常識に囚われない発想が生まれてくるのは、ユダヤ人は何度もホロコーストにあっている。ユダヤ人に対する批判は、宗教に起因している。
アラン・チューリングは同性愛者で、当時のイギリスでは、同性愛は、宗教上の教えに反して、忌み嫌われている。
ここでも聖書という倫理観や常識で全人格を否定されている。
聖書は倫理だったり、常識で、そして守るべき基盤で、そんな宗教上の理由で全人格を否定されている。
彼らは「もう常識なんか、どうでもいい。」
「常識なんか守るべきものではない。」という[負の感情]に背中を押されている。
実は!
そんな常識に囚われない発想は、個人的な事情を知れば分かりやすいのかも知れない。
そして!
タイミングの合わせ方は感覚的で[錯覚]のようなものだったり、とても教えたり、教わったりできそうもないものだけど。
だけど!
日本人は空気を読んで、周囲の気付きに反応している。それは100%周囲を肯定する感情で、ものを考え、判断している。
日本人は孤立を怖がっている。
イノベーション能力という周囲を出し抜く発想や、周囲と違う行為ができない。
否定は仲間外れを意味して、怖くてできない。
しかし!
日本人は空気を読むので、誰かが気付けば良い。
自分だけ置いていかれるのが怖くて、とりあえず、ついていくと、そのうち分かる。
そんな考える共通の基盤があるので、ヒントも共有できる。
常に!
周囲と同じレベルで理解は進んでいる。
そんな従属性で、タイミングの合わせ方という[錯覚]の様なものさえもマニュアル化できている。
ユダヤ人やアランチューリングとは逆に!
否定ではなく。
肯定だけで考えている。
引き算はなく。
足し算だけで考えている。
マニュアルは100%肯定することで、日本人に合っている。
日本人はプラスの[付け足す思考力]が優れているので[負の思考力]で、ものを考える人物を混ぜておけば良い。
弱点と言ってもいい発想の転換は、空気を読んで変化に、ついていくので、できるのかも知れない。
有名な学者は、個人的な事情があって[負の思考力]で考えていると教えれば、日本人は不安感という[負の感情]にシンクロして、その先で[ひらめき]さえも体験できるのかも知れない。