大谷翔平 5 | エイジのブログ

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ピッチングマシーンからの150kmの速球は殺人的に速く感じる。

 

しかし!

投手は腕を振って投げるので、その腕の振りを付け足して、長く見れば、速さは緩和される。

 

ピッチングマシーンからの150kmの速球も、投手の投げる150kmも同じはずなのに、感覚的には、やはり違う。

 

これは[錯覚]かも知れない。

 

「錯覚でも良いんじゃない。」

 

感覚的なものは教えることはできないのか、

と言うと、

そうでもなくマニュアル化できる。

 

「こういう見方をしなさい。」と教えることはできる。

 

「調子が良いって、どういうこと?」

 

具体的に伝えることができそうもない[錯覚]のように、

教えることが、できそうにないものでも、

ちゃんとマニュアル化できて。

それを教えると!

それは、誰にでも、できるのかも知れない。

 

ボールが、ゆっくりと見えるのは[錯覚]だけど・・・。

 

そんな見方は、意外と、マニュアル化できる。

 

できそうにないけど、できるのかも知れない。

 

ベートヴェンは耳が聞こえなくなってから、あの有名な曲を作曲している。

 

どうしてもピアニストは、ピアノの音色に囚われてしまう。

そこが空想の限界点になってしまうけど。

 

しかし!

ベートヴェンは、もう耳が聞こえない。

 

もう空想するしかない。

 

そんな空想はピアノの音色という枠を超えていく。

 

誰しも、ヒトの話を聞いてると、言葉としては言ってないけど「本音は、それか!」と感じることがあって、言葉とは裏腹な本音は、ちゃんと伝わってくる。

 

ヒトの空想や本音も、空気を読む日本人には伝わる。

 

まるでテレパシーのように[さっして]理解してくれる。

 

ゆっくりと感じる。

 

そんな感覚的で、教えたり、教わったりできそうにないものも意外と伝えることはできる。

 

「調子が良いって、どういうこと?」

 

もっと具体的に説明できると、マニュアル化できるのかも知れない。