「チャットGPT」 143 | エイジのブログ

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埼玉県の川口市には、すでに2000人のクルド人が住んでいるらしい。

クルド人が騒ぎを起こしているというニュースを見ると、日本も移民問題を抱えてしまった。

 

クルド人がTV番組に出演して、説明をしているのを聞いていると、彼らは、もう20年以上も川口で暮らしているので日本語も話せて、話している様子を見てると「我々の気持ちを察して、理解して」と言ってるように聞こえる。

 

彼らは日本語で考え、日本語で話しているので、日本語はクルド人を日本人化させている。

 

「どうか気持ちを[さっして]理解して。」と言っても、それが通じるのは日本人だけだと思っていたけど、日本人だけではなく、日本語だけなのかも知れない。

 

日本語は[あいまい]な言語で、そして感傷的な言語で、日本語で話すとクルド人も、すっかり日本人になっている。

 

血の気の多いクルド人も、喧嘩の嫌いな日本人になっている。

 

日本語で話してると「自分達の気持ちを察して・・・。」と、そんな心理状態になるみたい。

 

「古池」や「蛙」には、それ以上の意味なんかないのに、それ以上の意味を空想してしまう。

 

会話だと速答しなければいけない。

しかし!

俳句は平面という二次元の世界だけど、何度も何度も推敲を重ねて・・・。

時間をかけて詠んでいるので余韻を残す。

空想を誘う文章になっている。

じっくりと、時間をかけて・・・。

四次元化することで。

考えてから話す習慣が身に付いていく。

同じ脳で考えているので、別の話題も、つながっていく。

関連付けられていく。

 

そのうえ日本語で話していると、連想が働いて、フッと気付くことも多い。

日本語は、そんな言語で。

 

田淵幸一も英語ではなく日本語で言えば、フッと気付いて、周辺にある知識は、一つに繋がっていったのかも知れない。

同じ言葉で考えていると、同じイメージしか思い浮かばず、そのまま固定概念化してしまう。

言い方を変えることで気付くこともできる。

というか!

会話では考える時間が無い。

しかし!

感じたことを活字化すれば、いちいち言葉を吟味しながら書くので「う~ん。」「なんか違うなぁ~。」と、何度も何度も推敲を重ねて、俳句のように時間をかけることになる。

 

会話だと、キャッチボールが早く、言葉を吟味することはないので。

やはり会話ではなく!

活字化することで気付けたのかも知れない。

 

日本語は「  」余韻を残す言語で、気持ちが尾を引いてしまう。

 

「古池」や「蛙]は、ずっと待っててくれる。

 

日本製の[チャットGPT]は、アメリカ製の[チャットGPT]とは別物かも知れない。

 

いかに論理的で正確な文章なのか、ではなく、いかに行間を読めるか、いかに読者に気付きを与えることができるかが重要になってくる。

 

俳句は、何度も何度も推敲を重ねると、ありふれた言葉にも感情が、こもってくる。

 

「行間を読む」で検索すると。

 

文章には直接表現されていない筆者の真意をくみとる。

 

日本語は[さっして]理解する、想像を誘う言語で。

 

日本製の[チャットGPT]は行間が読めるためにも、案外!意味合いに幅があって、自由に解釈できる文章の方が、想像を誘うことができて。

そして!

ずっと待っててくれる文章の方が良いのかもしれない。

 

日本語は会話では余韻を残し。

 

活字化すると、何度も何度も推敲を重ねる。

 

日本語は考えるための言語なのかも知れない。

 

そうとしか解釈できない、正確に伝える、アメリカ製の[チャットGPT]とは別物かも知れない。