「チャットGPT」 139 | エイジのブログ

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人は周囲から評価されている人を評価して、軽蔑されている人を軽蔑している。

好き嫌いさえも周囲に影響されてしまう。

 

偏差値の問題点は、そんな判断力の喪失にあって。

 

偏差値を公式なものとして権威付けると、いよいよ疑問すら感じなくなってしまう。

 

「偏差値は、どういう能力を測る“ものさし”なんだ?」

 

ルノアールやピカソそしてセザンヌの絵を採点して序列化することに意味なんかないし、100mの選手とマラソン選手を比べることにも意味なんかない。

 

比べることに意味があるとすれば、脚力だけに限定して、なおかつ、それを細分化して100mに絞り込んで、やっと意味があって他の競技と比べることに意味なんかない。

 

偏差値は、どういう能力を測る“ものさし”なんだろう?

 

ペーパーテストで分かるのは、せいぜい記憶力か計算力くらいじゃないの。

 

それも今では、コンピューターが人の能力を凌駕している。

 

そして模範解答を速答する能力なら、すぐに[チャットGPT]に越されてしまう。

 

商品やコンピューターには、決められた規格や基準があって、それを満たしているか調べるのなら、テストは有り得るのかも知れない。

そして!

AIが進化すると、テストはAIの能力を測る“ものさし”としてのみ生き残るのかも知れない。

 

イノベーション能力は、教科書を書き換える能力で、そもそもテストには馴染まない。

 

少子化が社会問題になっているけど、教育費の負担が原因らしい。

しかし!

AIの進化と普及で、計算力や記憶力そして模範解答を速答する能力からは、もう卒業できて、生徒の負担は、それだけ軽くなっているんじゃないの。

 

偏差値という“ものさし”は、もう意味を、もたなくなっているのに、偏差値型の優等生は、それが優越感の根拠なので否定したくなくて現状維持に固執して、東大からイノベーション能力が育たなくなってしまった。

 

それに偏差値で低い評価をされると、振り落されてしまう。

 

偏差値は高くても低くても、才能は育たない。

 

AIは高度に進化した管理社会には必要で、益々、人はAIを必要とし、AIは人を必要としている。

 

今日では少子化が社会問題になっているけど、教育費の負担が原因らしい。AIとの役割分担が進んで、イノベーションに特化することで教育費を減らすことは、できるんじゃないの。

 

国民の大部分は能力差のない常識人がいて。

そして!

極少数の才能がいれば、バランスはとれている。

 

日本人の大部分は能力差のない常識人なので、後は常識をブレイクスルーしていく才能が少数いれば良い。

 

日本人の大部分が能力差のない常識人なのに、偏差値で序列化している。

そして!

「教科書は正しい。」と教えて。

なにも付け足してはいけない。

なにも削り落としてもいけない。

教科書の否定は認めないのでイノベーション能力が育たなくなってしまった。

 

100mの選手とマラソンの選手の、どちらが優秀なのか比較することに意味なんかない。

 

テストで分かるのは「規格や基準を満たしているのか。」という現状維持能力で、イノベーション能力を、どうやってテストするんだ、

 

東大からは、イノベーションが生まれてこない。

教科書を書き換える学者が育たない。

 

日本中に巨大なデーターセンターが建設されて、益々ビックデーターの分析力が求められている。

 

AIが進化して役割分担が進んで。

 

You tubeやブログが一般化して、新しい情報や豊富なデーターの分析力が求められて、いよいよ学歴や偏差値という、古い価値観は陳腐化している。