偏差値大学からイノベーションが生まれてこないのは「教科書は正しい」と教えているで、もう答えは出て、終了して考える必要性がないからで。
生徒が難しく感じてしまうのも、そもそも終了して、思考は停止している。
他人の意見を必要以上に権威づけて、他人に思考に依存して、その先を自由に空想することがなくなると、ここでも思考は停止している。
宗教のように信じている。
ユダヤ人は他人を信じる気はなく、他人が評価されても意味がないので、他人の意見を過大評価することもなく。
そして他人の意見を鵜呑みにすることもなく、距離感を感じるけど。
しかし⁉
ヒントは求めているので。
他人の意見を答えではなく、ヒントとして感じることで、自由に解釈して、その先も、やはり自由に考えを組み立てている。
ここでも距離感を感じる。
しかし!
AIには、それができない。
AIが自由に考え、自由に話を組み立てているとすれば、そのAIは壊れている。
「良いとこ取り」で検索すると。
複数の項目の中から、それぞれの長所や利点だけを抽出して、一つのものに盛り込んだかのような様子。
AIには、それができない。
ユダヤ人は他人から、良いとこ取りをして、自分の手柄にしている。
その点、日本人は空気を読んで、ピッタリと合わせることで「なるほど!」という気付きを得ている。
日本人は、周囲の「アッ!そうか。」という気付きにシンクロして、共鳴して、正確に感じ取って。
そして自分の内にある記憶の中から連想を働かせて[プランB]へ変化して、進化している。
それは[チャットGPT]の進化した姿かも知れない。
日本の文化はユニークで「 」余白が多く。
「きっと分かってくれる。」
「信じてる。」というメッセージを感じて、鑑賞してる人は自尊心をくすぐられている。
日本人の学習能力は、ユダヤ人とは違って、近い距離感で、そして人を信じて機能している。
ルイス・キャロルは、ついつい遠く離れた『不思議の国』で多くの時間を過ごしている。
「なにが、あったんだろう?」
彼にはブレイクスルーしていくための、ナンセンスな空想が必要だった。
彼は、何かを忘れたがっている。
彼の数学を理解するためには、数学とは関係ない、個人的な事情を知ると分かりやすい。
[チャットGPT]の出番かも知れない。
創世期や黎明期には、偶然生まれてくる様子が[プランA]として体験できて、そして理解するために話を組み立てていると、それは別のものに変化している。
恐竜が鳥に変化して生き残ったように[プランB]に変化することで生き残ることができる。
そのままだと絶滅してしまう。
そして学者のブレイクスルーしていく空想を正しく理解しようとして、難しく感じてしまう。
偏差値大学からイノベーションが生まれてこないのも「正しく理解しなければ意味がない。」と考えているからで、教科書は要点だけが載っている、物語の“あらすじ”のようなもので、そんな“あらすじ”だけで納得している、飲み込みの良い子は、理解の浅い子かも知れない。
むしろ!
「えっ!」「どういうこと?」と挫折しているのは、もっと説明を必要としているからで、可能性のある「分からない?」か可能性のない「分からない?」かは容易に判断できるんじゃないの。
模範解答を速答する[チャットGPT]は、理解が浅くても良いのかも知れない。
AIが推敲を重ねるとしたら、壊れている。
[チャットGPT]の進化と普及で。
やがて!
可能性を感じる「分からない?」と言う子が評価されて。
受験生の評価のされ方は、模範解答を速答する[チャットGPT]とは、反対方向に向かうのかも知れない。