「チャットGPT」 75 | エイジのブログ

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アメリカの警察官は、高級車に乗ってる黒人は犯罪者か麻薬の売人という目で見ている。

そんな先入観や色眼鏡で見ていると、そう見えるもので、何の先入観もなく見てると気付かずスルーしてしまう。

 

[気付き]は才能や能力というよりも、偏見だったり、先入観で見ているだけかもしれない。

 

人は理性よりも感情の方が勝っている。

しかも「嫌い。」という否定的な感情で人を見ているのは、どうみても偏見で、欠点としか思えない。

 

高級車の乗ってる黒人が犯罪者に見えるのは「人種差別も、かなりのものだな。」と感じる。

 

黒人に対する同情心が欠けている。

 

黒人を嫌って、黒人を偏見で見ている警官が黒人を理解するとは思えない。

 

やはり!

感情よりも理性の方が勝った人にしか理解はできないけど。

 

しかし!

警察官には同情心も偏見も、両方が必要で。

そんなバランス感覚が必要で。

欠点としか思えない[負の感情]が気付きに繋がっている。

 

学者には破壊的な一面と創造的な一面があって。

 

『不思議の国』のようにナンセンスで非科学的な一面もあって、そのためにも学者の個人的な事情を知ることで「そういうことか。」と理解できる。

 

先入観で見てるのは才能ではなく、むしろ!欠点で、そして誰にでもできることに注目すべきなのかも知れない。

 

欠点で「誰にでもできる。」

 

だからこそ!

有名な学者には破壊と創造という矛盾した考えや「〇〇障害児」だったという致命的な欠点もあって「どういうことなんだ?」と謎に感じるけど、意外と分かりやすく。

 

彼らには優れた才能もあるけど、わずかな欠点・欠陥が致命傷になっている。

 

むしろ「欠点・欠陥は必要なんだなぁ。」と感じるのかも知れない。

 

東京大学には「〇〇障害児」はいない。

 

「教科書は正しい。」と信じて、教科書を書き換える学者が育たない。

 

欠点や個人的な事情という、才能ではないものを、どうやってテストするんだ?

 

むしろ日本的であれば良いのかも知れない。

 

先生が「氷が解けたら、何になりますか?」と尋ねたら。

ある児童が「春になります。」と答えたという。

この子は理科の質問に、国語で答えている。

 

国語で考えれば、SFのように科学を超えていく空想はできる。

 

日本人は文系で、科学者というよりもエッセイストで、フィルター越しに見たり、先入観で見てると気付くことが多い。

 

特に、感情には[負のエネルギー]があって「好き」よりも「嫌い」という否定的な感情や偏見で人を見てると、そう見える。

「好き」という[正のエネルギー]よりも「嫌い」という[負のエネルギー]の方が強い。

 

そして!

論理よりも感情の方が[感じる力]は増していく。

 

創造は破壊から始まっている。

 

やはり「嫌い」という[負の感情]は個人的な事情を知ると「そういうことか。」と分かりやすく。

 

矛盾は、分かりやすいのかも知れない。

 

人の感情は非科学的だけど、学者の感情として捉えると理解は難しくはなく。

 

あるいは理科も国語で考えれば、それは日本的で適応できるのかも知れない。

 

なによりも[チャットGPT]は、その文科系コンピューターで。

 

そして『和を以て貴しとなす』という日本人のバランス感覚で、感情は次第に[正のエネルギー]を増していくので、日本の文化のように、答えを求めず、ずっと待ってれば良い。

 

文章の間違いなら、人は簡単に訂正できるし。

 

そして日本語なら、非科学を受け付けない理科を、国語で考えることも簡単にできるはず。