[チャットGPT]との会話が成立していることに驚いているけど。
スピルバークを批判する人は数いて、それは彼が100%描こうとするからかも知れない。
日本の文化は、日本画や能のように表現が足りない。
しかし!
「古池」や「蛙」にそれ以上の意味なんかないのに、なにかを感じる。
芭蕉は「読者は、きっと分かってくれる。」と信じて、期待していると、その通り、読者は自尊心をくすぐるられて、この句に最高の評価を与えて、芭蕉の期待に答えている。
ある車のデザイナーは「最後の一筆は描かず、未完成のままに留めておく。」と言っている。
車を見てる人の美意識を引き出している。
小津安二郎の『東京物語』は平凡な日常生活を描いているだけなのに、余韻を残している。
小津安二郎も最高の評価を得ている。
ピカソの絵も未完成で、見ている人の中で芸術になっている。
スピルバークが批判されるのは、100%描こうとするからかも知れない。
[チャットGPT]との会話が成立していることに驚いているけど。
日本人の開発する[チャットGPT]は違うのかも知れない。
脳はニューロンが、くっついたり離れたりしながら機能しているらしい。
自閉症の患者のなかに、記憶力が異常に良くて、見たものを全て記憶してしまう患者がいるらしい。
くっついたまま変化しなくなってしまうのかも知れない。
ニューロンが、まるで生き物のように動いている映像を見たことがある。
人の脳は、感情とか、知識とか、いろんなものが、くっついたり、離れたりしながら記憶している。
異質なものが、くっついて記憶する構造で、たとえ科学的じゃないと感じても、そこは悩むところじゃなく。
ルイス・キャロルは、やはり小児性愛者だったのかも知れない、そのことは知られたくなくて、遠く離れた空想の世界に現実逃避している。
「数学者が、なんでナンセンスな考え方をするんだ?」
そこは悩むところじゃない。
PTSDのように辛い記憶は消せなくなってしまう。
むしろ!
PTSDのように記憶が固定概念化してしまうことが問題なのかも知れない。
記憶力でのみ能力を測ったり、必要以上に記憶することで思考停止状態になってしまう。
日本の教育の失敗も、そんなところに原因があるのかも知れない。
正確で大量の記憶や計算は、コンピューターに丸投げすれば良い。
ただ!
人の記憶には、まだまだ、その先があるのかも知れない。
空想も[ひらめき]も、今は抽象的な概念だけど。
やがて!
脳にはニューロンのように具体的な形と動きがあるので、やがて空想も[ひらめき]も形として見ることができるのかも知れない。
空想や[ひらめき]が、どんな形をしているのか見えるようになると、AIは人の知能を凌駕していくのかも知れない。
もしかして次世代のコンピューターの開発者は、ニューロンをイメージしているのかも知れない。
コンピューターは進化の過程で。
突然!
反対方向に進化していくのかも知れない。
[チャットGPT]との会話が成立していることに驚いているけど。
それはAIの進化の過程の一瞬に過ぎず。
日本人が[チャットGPT]に求めるものは。
スピルバーグではなく小津安二郎かも知れない。