何年か前のNHKスペシャルの『数学者は宇宙をつなげるか?abc予想証明をめぐる数奇な物語』で「数学は異質なものを、同じものとみなす」のが数学的な考え方だと言っている。
たしかに!
バットスィングと日本刀の振り方は異質だけど、同じものとみなすことで[内から外]という振り方で、両者は、一つに合体している。
番組の中で「数学は掛け算は簡単だけど、足し算は難しい。」という説明があって。
日本刀の振り方の遺伝子は残って、バットの振り方の遺伝子は消えている。
ピカソの絵は、見てる人の美意識を目覚めさせて芸術と評価されている。
「異質なものを、同じものとみなす」
これは番組の中で何度も繰り返されているキーワードで。
「うん?」
「この考え方は非科学的過ぎない。」
「こんな考え方は科学じゃないよ。」
しかし!
これが数学的な考え方の原理・原則らしい。
というか!
それが人の思考力かも知れない。
「ニューロン」で検索すると。
ニューロン(neuron)とは、生物の脳を構成する神経細胞のことである。 この神経細胞は、図 2.1のような構造になっており、 核が存在する細胞体、ニューロンの入力である樹状突起、出力部分であるシナプス、 伝送路に当たる軸索がある。
異質なものを無理やりにでも関連付けてみれば良いのかもしれない。
人の脳は言葉を意味付けて記憶したり、なにかと関連付けて記憶している。
だから!
なにかと関連付けることで、容易に記憶できる。
無理やり関連付けるのは「非科学的!」と言うまえに、脳の記憶の仕方に起因しているのかも知れない。
そして!
常に、何かと関連付けて記憶しているので、単語一つからでも連想が働く。
そんな脳の機能を「非科学的」と批判しても意味がない。
そこは科学的とか非科学的に、こだわるところじゃなく。
非科学的な思考は、むしろ生かすところで!
「古池」や「蛙」には、それ以上の意味なんかないのに、どうしても、いろんな情景を空想してしまう。
記憶が蘇る。
先生が「氷が解けたら、なんになりますか?」と尋ねたら、ある児童が「春になりなす。」と答えたという。
この子は理科の質問に国語で答えている。
国語は簡単に科学の限界を超えていく。
日本人は、日本語で考えているので「古池」や「蛙」から、いろんな情景を空想しても違和感は感じない。
日本語を、うまく利用すれば良い。
光悦の茶碗は、わざと未完成なままで。
光悦の茶碗は鑑賞している人の中で芸術になっている。
未完成なものや、芸術的な価値は[AI]には理解できない。
というか!
AIは美意識と関連付けて記憶してないし、そもそも[美]が理解できない。
[美]は「1+1=2」という科学じゃない。
「異質なものを、同じものとみなす」
これは番組の中で何度も繰り返されていたキーワードで。
日本では「1+1=1」と答えると「✕」がついて「1+1=2」しか認めない。
日本の教育は、人の脳の機能を無視して偏差値大学からイノベーション能力が育たなくなってしまった。
というか!
脳の記憶には、まだまだ、その先があって。
「異質なものを、同じものとみなす」
それは!
異質なものを関連付けて記憶している。
異質なものを一体化して記憶している。
そんな脳の記憶の仕方で説明できるのかも知れない。