YouTubeで『エルビス』の映画観賞後の感想をupした動画を見てると、映画のストーリーをなぞっただけのものが多く、独自の体験を重ね合わせたものが少ないのは、極端な体験が少ないからかも知れない。
そんな波風の立たない、無難な人生は幸せなことだけど。
やはり映画の解説は、見る人の幸せな思い出や忘れたい体験によって増幅された解説の方が面白い。
小津安二郎の『東京物語』は毎年のように、世界の映画史の中で[見るべき映画]トップ5にランキングされている。
小津安二郎の映画は、決して派手な映画ではないし。
「 」の多い日本的な映画で。
ありふれた会話だけど間(ま)があって、余韻を残す。
映画を見てる人は、その間(ま)や余韻に、まるで自分の過去を思い出すように感情移入している。
原節子の笑顔を見ながら。
「 」で感じているのは、幸せだった記憶だったり。
時間がゆっくりと過ぎて、一言一言を、かみしめるように見せている。
小津安二郎は、そんな間(ま)の作り方に特徴があって、映画を見てる人は、ついついその続きを空想して、感情は、ありふれた『東京物語』のセリフを超えていく。
理解ではなく、気付けば、その時の気持ちで穴埋めしている。
人の理解力は感情移入で、主観的なもので。
「 」のような間(ま)で映画を見てる人を会話に誘う。
人の意見は、
「アイツが嫌いだ。」と批判してたり、自己弁護だったり[負の感情]に背中を押されていることが多い。
説得力を失くさないように露骨な表現を避けて、綺麗に、お化粧しても、本音は透けて見える。
人は、批判する時が最もエネルギッシュで、執念深く、そして論理的で、そこら中から知識や知恵をかき集めてくる。
そして教科書は書き換えられた歴史で。
学者は、その時代の常識さえも受け入れることができない。
「何が、あったんだろう?」
ただ!
日本の文化には間(ま)や余韻があって[否定や批判]だけではなく、肯定的な感情にも対応できるのかも知れない。
コンピューターは記憶力や計算力では、すでに人の知能を凌駕しているけど、感情が理解できない。
というか!
『東京物語』のように、感情で理解できない。
記憶力や計算力は優れていても、その意味が分かっていない。
しかし!
そのコンピューターやコンピューターソフトを使うのは人なので。
もしかして!
日本のコンピューターソフトは、人の感情に対応するものに進化していくのかも知れない。
理解は「うん?」「どういうこと?」という疑問から「そうか!」という気付きを伴うことで分かりやすくなっていく。
感情を伴うことで分かりやすくなっていく。
人は映画やドラマを見て、自分の思い出や願望と一体化している。
「ドラマチック」で検索すると。
(あたかも芝居の ごとく、見る)人の心を奪い、心を揺さぶる激しい ありさま。 劇的。
学者の[ひらめき]や気付きは、背景から、その時の感情を想像すると「そういうことか!」と分かりやすく、まるでドラマを見るように感情移入して、その続きを空想することで、答えに囚われることもなく、自由な連想ゲームができて役に立つのかも知れない。
やはり学者の[ひらめき]や気付きは、科学というよりも心理学かも知れない。