「創造的破壊」で検索すると。
[願望が現実を追い出している]という記述があって。
ベートーヴェンは、もう耳が聞こえない。
もう現実は存在しない。しかし[美意識]だけはあって、美意識だけで満たされている。
耳が聞こえなくなってから、あの有名な曲を作曲している。
ベートーヴェンの創造的破壊からヒントを得ると。
ポジティブな空想がネガティブな現実を追い出している。
というか!
ベートーヴェンは、もう耳が聞こえない。
音のない[無]の状態に意味があるのかも知れない。
間(ま)のような「 」の中は、美意識だけで満たされている。
美意識だけで満たされるためのスペースが空くことに意味があるのかも知れない。
それとは反対に「チャットGPT」は関連性のありそうなデーターを集めるだけ集めて、データーでいっぱいにしてから絞り込んでいく。
連想ゲームをしている。
日本の教育は、知識を暗記していくだけで、そこからの連想ゲームはなく、知識の暗記だけで終わっている。
変化には、何の興味も示さない。
そもそも!
[正解]は出題者が指定した答えで、生徒にとっては、他人の感情を伴わない無機質な知識で、そこからは連想が働かない。
創造的破壊はポジティブな空想がネガティブな現実を追い出している。
感情を伴っている。
なによりも!
学者の気付きは「アッそうだ!」と別の知識と繋がっていくと。
そんな状態は、学者の「なるほど!」という気付きを伴うことで分かりやすく、説得力も増していくはずで。
どうしても学者の記憶はネガティブやポジティブな感情を伴って記憶しているので、それを読むと、ついつい我々も過剰反応をしてしまう。
そのうえ!
ポジティブな空想が無機質な現実を追い出していくので益々変化してしまう。
コンピューターに、そんな創造的破壊現象が起こるとすれば壊れている。
コンピューターはデーターで満たされていることで役に立って、耳の聞こえないベートーヴェンのように[無]の状態にスペースが空くことに、なんの意味もない。
学者の空想は変化に富んでいる。
そして!
感情を伴って記憶しているので、そんな具体的なプログラムが存在するはず。
そして!
日本の教育も無機質な知識の暗記ではなく、感情を伴った知識の記憶だったり、気付きを与えて、生徒の思い描くイメージが変化していく様子をみる教育に変わっていくのかも知れない。
日本語は始発駅で自由に展開していく。
これから何処に行くのかも分からない。
そしてフッと気付くと、それは答えからも考えている。
何よりも日本人は、場の空気を読んでいるので一瞬の変化に反応する。
周囲と考える方向を合わせて、歩調も合っているので、考える共通の基盤があって、ヒントも、ひらめきも共有して「誰かが気付けば良い。」「自分が気付かなくても良い。」
ほぼ同じ疑問から気付きまでを共有して、周囲と同じレベルで理解は進んでいく。
日本語は始発駅で自由に展開していく。
そしてフッと気付くと[答え]からも考えている。
そんな展開はイノベーションに向いているのかも知れない。
なによりも!
日本人は間(ま)のようなスペースを空けることが好きで。
連想ゲームのためのデーターを集めは「チャットGPT」を使えば良いと、日本で独自の進化をしていくのかも知れない。