ホイットニー・ヒューストン『 I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』 6 | エイジのブログ

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アレサフランクリンを描いた映画『リスペクト』を見ると、夫の醜いDVに嫌悪感を感じる。

 

「こんなDV亭主に、なにを言っても無駄だな。」と思う。

 

DV亭主の理屈は、あまりにも単純で、もう少しは複雑な価値判断はできるはず。

 

「単純」の類語で検索すると。

 

シンプル。 

易しい。 

わかりやすい

 

しかし!

これらの単語を見てると、どれも理解するためには非常に重要なことのように思える。

 

アメリカでは、今でもイノベーションで成果を上げているのは外国出身の研究者らしく、母国語と英語の両方の文法で、ものを考えているから、もう少しは複雑で、多様な考え方ができるのかも知れない。

 

それをいうのなら日本語と英語の組み合わせが最強で、日本語は始発駅で英語は終着駅で、トンネル工事のように出口と入口の両方から掘って倍のスピードで工事は終了できるし、なによりも逆方向からも考えることができる。矛盾した考え方もできる。

 

それに加えて!

日本人が場の空気を読むのは、正しいのか間違っているかよりも、それは多数派の意見なのか少数派の意見なのかの方が重要で、日本人は「これは多数派だ。」と思えた時に説得力を感じている。

 

少数派だと怖くて、ついていけない。

 

群れる動物のDNAに似ている。

 

正しいのか、間違っているのかという判断の方が重要だと思うけど、日本人は群れる動物のように、多数派の方を優先する。

 

というか!

「正しい」よりも「多数派」と優先順位に違いがあっても、同時に、二種類の価値基準で判断している。

 

たった一つの考え方では、すぐに行き詰ってしまうので、違う見方や、違う考え方が必要になってくる。

 

そんな時!

日本人の集団志向性は主体性よりも従属性を優先させ、自分の意見は二番目に降格するのは欠点だけど、ダイヤモンドは炭素の塊に過ぎないけど、多くの女性が魅力を感じて、需要と供給の関係で高価で取引をされている。

 

価値は多数派か少数派かで決まる。

 

単なる炭素の塊は、それが多数派の意見になることで、新しい価値が生まれている。日本人の判断力の弱さを示す多数派指向から、つぎつぎと新しい価値が生まれてくる。

 

理解力も気付きも[価値]を感じることで、眼力には感受性が必要だけど。多数派指向は、眼力が弱くても、他力本願な従属性で、ダイヤモンドのように新しい価値の創造に、つながっていく。

 

日本人には、もう一つ、イノベーション能力があるのかも知れない。

 

自分の意見が二番目に降格するのは欠点だけど。

 

しかし!

多数派指向から需要と供給の関係で、新しい価値が生まれている。

 

というか!

正しいのか、間違っているのかという[自力]の判断力に、多数派指向という[他力]のイノベーション能力が加わっている。

 

王貞治も星野 伸之も変なことをしているけど、とりあえず、ついていけば、そのうち分かる。

 

日本人の集団志向性は、欧米人と比べてもイノベーション能力で優位性があるのかも知れない。

 

アレサフランクリンを描いた映画『リスペクト』を見ると、夫の醜いDVに嫌悪感を感じる。

 

「こんなDV亭主に、なにを言っても無駄だな。」と思う。

 

DV亭主の理屈は、あまりにも単純で嫌になってくる。

 

「どうして相手の立場から、ものが見えないんだ。」

 

「どうして妻の方向から考えられないんだ。」

 

それをいうのなら日本語と英語の組み合わせが最強で、英会話ができれば、双方向からの思考は自然にできるのかも知れない。

 

というか!

たとえ英会話はできなくても、答えから考えれば、DV亭主のように理解力の欠如した男にならずにすむのかも知れない。