何十年も前のスパルタな精神野球から、反対方向に揺れる時、長嶋茂雄のプラス思考が、その受け皿になっている。
しかし!
今でこそ「暴力!」と否定されるけど、当時はスパルタ的な精神野球を「正しい」と思って行っている。
日本人は集団志向性が強く[公]はあっても[私]が弱いので、どうしても行き過ぎてしまう。
やがて!
日本人は、行き過ぎからの揺れ戻しで、気付いて、理解を深めて、一つにまとまっていく。
日本人の行き過ぎ、やり過ぎは群集心理で、判断力はマヒして、流れに流されてしまう。
自分で判断できなくなってしまう。
日本人は多数派に弱い。
少数派には怖くて、ついていけない。
どれもこれも欠点でしかないけど。
しかし!
日本の教育は、いきなり模範解答を求めている。しかも生徒は教科書の方を向いて、自分の意見は二の次に降格している。
日本人は、子供の頃アトムやガンダムを見て育っているので「えっ!」「ガンダムを作るの!」とウキウキと喜んでロボットを製作する日本人は、いくらでもいるので、日本のロボット産業が世界一発達している。
それは、SFの世界で科学も非科学もない、可能も不可能もないものをウキウキと空想しているからこそ実現できている。
偏差値大学がイノベーションに弱いのは、そんな空想や妄想がないからで。
いきなり模範解答を求めている。
模範解答は欠点には思えないけど、揺れもない。終了している。その先が無い。
スパルタ的な精神野球は失敗している。
しかし!
そんな一方的な傾きから[負のエネルギー]が生まれて、一気に反対方向の振れる時[プラス思考]に気付いて、一つにまとまっていく。
スパルタ的な精神野球は失敗だけど、当時は「正しい」と思って行っている。
大きく揺れながら[二段階目]で理解を深めている。
エジソン少年はピントの外れた子だったのかも知れないけど、彼も[二段階目]以降に注目すれば「この子は他の子とは違う、」と気付いたのかも知れない。
日本人の場合は、他力本願な思考力に特徴があって。
それは誰かが気付けば良い。
自分で判断できなくても、誰かが気付けば良い。
日本人は周囲に依存して、判断力を失くしている。
揺れ戻すと、必死に、ついていこうとして、いよいよ[二番目]や[二次的]に多数派意見は生まれている。
というか!
日本人の集団志向性のDNAが、そうさせるのかも知れない。
「文化は異文化の交差点から生まれてくる」で検索すると。
「アイデアは異文化の交差点から生まれてくる。」
一見まったくランダムなアイデアが飛び交う。ひとつの会話が別の会話に発展し、次に何が飛び出すかは誰も予想がつかない。「ピーターズ・カフェ」は多種多様なものが結びつく連結点なのだ。とのこと。
イノベーションは[破壊から創造]へと極端に揺れている。
しかし!
[破壊]は結果で、当時は「正しい」と思っていたのかも知れない。
どうしてもテストをするのなら[二番目]や[二次的]な答えで評価すべきなのかも知れない。