日本人は感傷的で、感情に流されてしまう。
流されることで、もう耳の聞こえないベートーベンの感情にシンクロしてしまう日本人は大勢いる。
日本人の理解力は従属的で[二番目]や[二次的]に表れてくる。
欧米人は周囲を出し抜く[離脱]でイノベーションは生まれているけど。
日本人は一体化して感情をシンクロさせて、思考回路を共有して、イノベーションは生まれている。
集団志向性のつよい日本人は、ついつい一方方向に行き過ぎてしまう。
振り子は一方方向に触れると、傾きという[負のエネルギー]が蓄積して、それに耐えられなくて、一気に反対方向に振れる。
しかし!
一気に反対方向に振れるけど。
ひっくり返っているけど。
裏の裏は表ではない。
何か良い方法を思い付くと、ついついやり過ぎてしまう。しかし、やり過ぎることで失敗して、そのやり方の何処が問題なのかが見えてくる。
やり過ぎることで問題点が見えてくる。
揺れ戻しは、あるけど。
裏の裏は表ではない。
発想の転換は、振り子のように真逆の方向に振れている。
龍安寺の石庭は、否定することの否定らしい。全てを受け入れるという意味かも知れない。
龍安寺の石庭は、スルーできないことに価値があるのかもしれない。
龍安寺の石庭は、終わりではなく、始まりで、ずっと見続けてしまう。
集団志向性のつよい日本人は、自立や独立には興味はない。
日本人は感傷的で、光悦やモーツァルトとの距離感は近くて、すぐ側に感じている。
アメリカでは白人・黒人・ヒスパニック・アジア人と感情的に対立して、そのことに問題意識もあって。
反省もあるけど。
振り子のように、揺れ戻す力が生まれると、バラバラになってしまう。
金正恩は国家を私物化している。
金正恩には[私]はあっても[公]がないので、北朝鮮は一方方向に揺れて[負のエネルギー]が蓄積して、それに耐えられず、振り子は一気に反対方向に振れると、国家はバラバラになってしまう。
中南米の国々も、一方方向に行き過ぎる破壊的なエネルギーが生まれている、もしも振り子が反対方向に振れると、国家はバラバラになってしまう。
日本人は距離感が近くて。
空気を読んで歩調を合わせているので、日本人には[公]はあるけど[私]は弱く、群集心理から行き過ぎてしまう。
何十年も前のスパルタな精神野球は行き過ぎて、暴力的な指導は、やがて魅力を失って、一気に反対方向に揺れる時、長嶋茂雄のプラス思考が、その受け皿になっている。
今ではスパルタな指導は暴力と批判されている。
日本人は集団志向性が強く[公]はあっても[私]が弱いので、どうしても行き過ぎてしまう。振り子は傾きという[負のエネルギー]に耐えられなくなって、振り子は一気に反対方向に振れて、日本人は、そんな揺れ戻しで、気付いて、理解を深めて、一つにまとまっていく。
日本人は[二番目]や[二次的]な揺れ戻しで、プラス思考のように、気付いて、多数派意見は生まれている。
裏の裏は表ではない。
日本人は揺れ戻しで、理解を深めて、一つにまとまっていく。
やはり、日本人の感情は理性の上に位置している。
というか!
集団志向性のDNAは、仲間が増えることを望んでいるのかも知れない。