『閑さや岩にしみ入る蝉の声 』
広がっていく空想の中で、いろんな時間軸が浮遊している。そこは五次元の世界かも知れない。
五次元の世界は、空想みたいに終わりがないことに意味があるのかも知れない。
短い俳句は、長い時間軸の中で、何度も何度も推敲を重ねていると、余韻のようなものが貯金されていく。
日本人は、そんな余韻を味わっている。
日本人にとってキーワードは、ありふれた単語で「これから何かが始まりそうな予感がする!」結論ではなく始まりで!
イノベーションも、終わりではなく始まりで!
日本人は「うん?」「なに!」と周囲の空気が変化しそうな気配に反応してしまう。
野球中継を見ても「逆玉」とか「反対方向」のように単語だけで説明不足な解説をしている。
むしろ結論はない方が良いのかも知れない。
日本人は自分だけ置いていかれるのが怖くて、自分だけ理解できないのが怖くて[さっして]言葉を付け足して話を聞いている。
「右方向に打て!」
うまく説明できないけど「何となく良いんだ!」という気持ちが伝わって、聞き手の中で「それは、なんなんだ?」という疑問が膨らんでいく。
英語は文法的にも、まず結論が必要で、短い時間軸で考えているけど、日本人は、うまく説明できない話を丸投げしてくる。
「なんなんだ?」
そんな疑問から、やがて、誰でもしてる知識が膨らんで、ちゃんと説明できる野球理論が生まれている。
短い俳句は、長い時間軸の中で、何度も何度も推敲を重ねていると、余韻のようなものが貯金されていく。
日本人は、長い時間軸で考えている。
[時間軸]で検索すると。
じかん‐じく〔‐ヂク〕【時間軸】 1 線グラフで、数値・数量の変化を示す縦軸に対し、経過時間を示す横軸を時間軸という。
日本人にとっての縦軸は[余韻]とか[予感]のように何か感じる!そんなものかも知れない。
大学入試が記述式に変わると「これから何かが始まりそうな予感がする!」そんな文章が効果的なのかも知れない。
まず、うまく説明できない話を丸投げする。
「なんなんだ?」
日本人は空気が読めないのが不安で感受性のスイッチが入って!
ありふれた言葉がキーワードに思えてくる。
疑問が、ありふれた知識を[ひらめき]に変えていく。
そんな気付かせる記述が効果的で、模範解答を即答しても評価してもらえない。
誰しも、一本足打法を見ても、何も気付かない。
それは正確に見ている、そのまま見ているからで、そんな理系の見方では何も気付かない。
一本足打法に刺激されてしまう。
[1]を見て[10]を知る。
それは[余韻]とか[予感]のように何か感じる!そんな縦軸は、時間軸という横軸を必要としている。
日本は俳句の国で、日本語で考えると空想は膨らんでいく。
そして大学入試が記述式に変わると、益々!文系と理系の入れ混じった記述になって、その方が日本的なのかも知れない。