日本人の理解力 3 | エイジのブログ

エイジのブログ

ブログの説明を入力します。

自分で判断しない人がいて「どうして自分で判断しないんだろう?」「他人に判断を委ねると、不利益になるだけじゃないか!」


最近は、日本もすっかり右傾化して、爆笑問題の大田光は怒りが抑えられなくなっている。

人の判断は、まず好きとか嫌いという[感情]があって、そういう方向で考えていることが多い。


安保法案のような法律が成立すると、自衛隊も仮想敵国に備えるようになって、具体的な動きが生まれてくる。

そしてそんな法律の必要性を認識させるためにも仮想敵国が必要になってくる。

そういう法律や軍隊は、結果的に敵が必要で、そういう方向で考えて、そういう結論が導き出される。


人の判断は、まず好きとか嫌いという[感情]があって、後はそれを正当化していることが多い。

そんな気持ちがあって、それに背中を押されて考えている。

ただ怒りの感情は、敗北感や被害者意識から生まれている。

大田光の、怒りの先の達成感て何だろう?


自分で判断できない人がいる。

自分で判断しないのは、好きとか嫌いという感情がないからか?


爆笑問題の大田光はTVやラジオで怒りが止まらなくなっている。

今日の日本は右傾化して、彼には住みづらいのかも知れない。

ただ大田光の怒りの着地点は何処なんだろう?

怒りの感情には考える動機付けはあるけど、建設的な結論がない。


TBSラジオ[たまむすび]での、進撃の巨人を紹介する時に流れていた[The End of the World ]を聴くと、日本人はカナシミの感情に同期するので、そこには次第に気持ちが一つになっていく一体感の様な、感情の着地点が見えてくる。

そしてその、ゆっくりとした四拍子の曲には、たっぷりとした余韻があって、人との会話でも言葉には感情があって、そんな余韻で何かをさっして理解する日本人には、あのゆったりとした四拍子から、考えるための心のゆとりが生まれている。

ある陶芸家が光悦の茶碗を見て「光悦の茶碗は、うごいている!」と言っていた。「なるほど!光悦の茶碗は未完成なのではなく動いているのか!」


日本人は想定外の対応力に問題があった。

日本人は、いつも周囲の動きに流されて、自分で決められない。


ただカナシミの感情は、人の敗北感や挫折感に同情して、日本人の中に一体感が生まれている。

同情心の強い日本人は[フランダースの犬]を見て感情は同期して気持ちが一つになっている。


俳句や能のように、たっぷりある余白には十分過ぎる余韻があって、日本人にいろんなことを想像させている。

日本人は、周囲に影響されながら考えている。


群れて飛ぶ鳥は、次の瞬間群れが上下左右どこに向かうのか正確に予測する能力が備わっている。

日本人は自分で決められない。

しかし日本人の理解力は場の空気を読んで,その先を見ている。



ある陶芸家が光悦の茶碗を見て「光悦の茶碗は、うごいている!」と言っていた。

「そうか!光悦の茶碗は動いているのか!」