私は頭がいい。私は利口だ。
そんな顔をした人間をよく見かける。
社会的な成果をおさめている人であれば、なおさら周りは優秀と判断する。
その判断に疑問をもつこともない。
しかし、これはとんでもない誤解だ。
本当に頭が良い人とさかしらな人との区別がつかない。
目に見えないものを感じる、目に見えないものを見ようとする。
そこに人間の力など及びもしないとてつもない力があると感じる。
そのような力を古来から人々は感じてきた。
それが科学技術の発達により、その感覚が薄れてきた。
だから、単にさかしらな人を頭がいい人などととんでもない判断をする。
どんなに社会的な成果を上げようと、さかしらな人間は浅い。
人智を超えたとてつもない力を前にすれば、人間の力など微小なものに過ぎない。
どんなに科学時術が発達しても、たった一枚の葉っぱすら人間には作れない。
そこに気づけば、どうしても謙虚にならざるを得ないし、さかしらな表情などは消し飛ぶ。
自分の無力さ、愚かさを嫌でも認識する者のみが、本質にいたろうとする。
そもそも生命は何故、そして何によって生まれるのか?そして、どこに向かうのか?
人間の使命は何か?
そんな根源的な問いを忘れ、物質によってこの世は成り立っているという浅はかな観念。
この蔓延が、利口ぶった出過ぎたふるまいをする人間を優秀とはき違える。
勝ち負け、持つもの持たざるものとを単純に分けるだけの世界は変わらない。
世の中は政治家や官僚、大企業などの誰かが変えてくれるわけではない。
自分の観念に疑問を挟む自分のみが変えていく。