仕事柄、様々な方とお会いし、お話しする機会をいただいている。
その際、特に最近クローズアップして考えさせられることがある。
それは、各個人がもっている思考回路。
たとえば、自分自身にとって不運なこと、トラブル、憎い人の存在があるとする。
多くの人は、このような外的事象にこそ不幸や不運の種があり、この事象がなくなれば、自分の問題も解決していくと考える。
特に土壇場で苦しい状況にあれば、この状況さえ抜けることができれば、問題は解決するのだろうと。
でも、実際には違う。
苦境にあるとき、その苦境そのものは容易に変えることができない。
反面、その苦境に対する自分の反応、対応であれば変えられる。
冷静な時にはこのような理屈は理会できる。
しかし、恐怖、不安、怒りといったマイナスの感情や些末な欲、依存心に囚われるほど、自分本位の思考回路に固執するようになる。
すると、自分ではどうにもならないことと自分で変えられることの区別がまるでつかなくなってしまう。
結果、愚かな選択をいとも簡単に選ぶ。
特殊詐欺の被害なんてものがあるように、これが大きな失敗への引き金となる。
後から考えると、何であんなことを言ってしまったのか?
あるいは、何であんなことをしてしまったのか?
自分自身、そう思うことは、一つは二つでは全くおさまらない。
でも、自分を変えようとしない限り、この問題は以後もまた続いていく。
自分の機嫌の根を張るという言葉がある。
外は暴風雨であっても、自分自身の内側には平穏無事な状態をつくろうとすること。
暴風雨そのものはどうにもならないが、自分で変えられるものは内面にある。
そして、内面こそしっかりしていれば、外側の事象にコントロールされにくくなる。
土壇場になったときについ表面化する固着化した自分の思考回路。
このクセを正していく効果がある。
読書を生活の中に取り入れるとは、それによって本来の自己を取り戻すこと。
生きるとは、時に暴風雨に身をさらすことにもなる。
その中でこそ力を発揮できるような読書をしていきたい。