お茶の手前というのは、不思議なもので自身の心のあり様が如実に表される。
日常が乱れていれば、その乱れたままの姿が、手前に表れてしまう。
手前が上達したことを自負し、自惚れが少しでも出れば、必ずヘマをやらかす。
しかし、不完全で下手クソであることを十分に認識しつつもそれを乗り越え、一生懸命に立てたお茶はおいしくなる。
逆に言えば手前に表れた動き、心のあり様を整えていければ、日常も仕事も整うようになっているようにも思う。
お茶の手前で日常や仕事での自分の姿勢が、嘘偽りなく表現されてしまう。
だから、稽古の場で心を整えようとすることがとても重要になってくる。
手前は、我に邪魔される。
だから、真心とは何か?を考えていくようになる。
手前を読書に置き換えても、全く同じことが言える。