最近、忘年会が続く。
仕事や団体、昔懐かしい面々と会う中、いろいろと考えさせられることも多い。
一番、心に引っかかったのが、労働観や老後の保障。
自分は例外として、高学歴で頭の良い人が自分の周りには多い。
そうした人は得てして待遇の良い企業で働いている。
そして、ほぼ例外なく老後への不安を抱えている。
同時に人間関係の悩みや、失礼な言い方かもしれないが脆弱な労働観からくる将来の保障への渇望も見て取れる。
比較的高学歴で一流企業に勤めていれば、世間から羨ましがられるはずなのだが、本人は不安、苦しみに囚われている。
そこに社会構造の変容を見るし、現実という錯覚にとらわれがちな現代人の縮図を見ているようだった。
「投資をしてお金がたくさん手に入れば老後は安心。
そうしたお金が手元にあれば、いつでも仕事を辞められるし、ゆとりが生まれる。」
こうした観念が正解だと思われる方も多いかもしれない。
しかし、これは大間違いだ。
お金が安心をもたらせてくれるはずがないし、かえって増えるほど不安と欲を助長しかねないものだと自分は考えている。
そもそも、日本の通貨の信用がなくなれば、ただの紙切れに過ぎなくなる。
お金は大事だけれども、それを生み出す源泉が最も大事。
源泉とは、仕事の腕だし、人を喜ばせる意欲でもある。
そこを磨き切ることによって、将来への不安・・・というより自己の囚われから解放されていく。
何が本当に大切なことなのか?が、なんとなくわかっていく。
頭がいくらよくても、本質に触れることがなければ問題は解決しない。
お金さえあればとか嫌な上司さえいなくなればなんてことが、解決策だという視野の狭さに囚われてしまう。
保障なんてことを考えずに仕事や役割に熱心に取り組み続けていけば、今度は仕事や新たな役割に求められるようになる。
ここに人間の本来の幸福感があると僕は信じている。
人生で求められるのは、学歴でもなければ高収入でもない。
本然の力の発揮こそが、人間の生き方に求められるのではないか?