人は、いつ死ぬのか?
そして、何が原因で死ぬのか?
それは、誰もわからない。
でも、100%の確率でわかっているのは、必ず死ぬということだ。
誰かの言葉なのだが、本当にその通り。
コロナ騒動を機に死というものが身近にとらえられるようになった。
問題は、その捉えようだと考える。
死をいたずらに恐れ、避けようとする。
とすれば、それは自然の摂理に背くことになる。
いつ死ぬか?何が原因で死ぬか?は、人間がコントロールできることではないからだ。
生のみに執着し、その傲慢さの裏返しが、死を忌み嫌うことだと考える。
反面、死を受け入れようとすれば、何が大事なのか?が、わかりかけてくるような気もする。
命が大事だとよく言われる。
では、なぜ大事なのか?
それは、命の使い切り方があるから。
命は大事という言葉ばかりふわふわと先行し、肝心要のことが伝えられていないのではないか?
大事であるがゆえに、その命を何に使いきりたいのか?
大事であるがゆえに臆病になっては本末転倒なのだ。
人生は、航海にたとえられる。
何がこの先に起きるかわからない。
だからこそ、前途洋々たる希望をもって突き進むことが、人の命に課せられている使命なのではないか?
暴風雨、沈没を恐れながら航海するようでは、死ぬときにそれこそ後悔してしまう。
後悔先に立たず。
先に立たせるのは、前途洋々たる希望に他ならない。