自立と奉仕 | 二十四時間あきんどアタマ

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行政書士から一歩引いた目線、商売、商人としての視点から感じたこと、気づいたこと、わかったことをつれづれに綴っていきます。

 

学生時代のテスト、受験勉強。

 

良い点を取るためにどのように勉強するのか?に終始する。

 

試験に出やすい箇所、合格に一歩でも近づけるような参考書、講習会。

 

そういったものが重視され、人気を博す。

 

そこにあるのは、何か?

 

〇〇をすれば自分が希望する状態になるという計算に基づく取引。

 

学問をするにあたっての純粋な探求心なんてものは、ほとんどない。

 

そうした取引教育の延長線上に幸せになるための〇〇だとか、成功するための〇〇があるように思う。

 

あるいは、人気企業ランキング、稼げる仕事ランキングなんてものも、そうだろう。

 

釈迦に説法かもしれないが、現実の社会は、テストや受験勉強とはまるで異なる。

 

なぜなら、相手は生身の感情をもつ人間だからだ。

 

ペーパーテストという無機質なものとは、まるで異なる。

 

そこで問われるのは、自分の経験上、損得の取引よりも、純粋性。

 

自分の仕事に賭ける思い、熱意が、相手に伝わるかどうか?

 

取引の有利不利、大手のブランドなんてものでつながろうものなら、個人商店なんてものはやっていけるはずはない。

 

人気や社会的評価などで物事を選択すれば、ドツボにはまってしまうだろう。

 

なぜなら、人生を生き抜くにあたって最も重要な純粋性という羅針盤を欠いているからだ。

 

よりよい大学に入り、よりよい就職先を見つけることが、必ずしも正解とは限らないのは、ここなのだ。

 

受験など目もくれず、純粋に何かを探求したい衝動に従い、勉強、研究に明け暮れたほうが、生きがいのある将来につながりやすい。

 

というより、それそのものが生きがいになっているのだ。

 

物事に本気になって取り組むほど、自分の奥底に眠る情熱が発揮されるのではないか?

 

やりたいことなど見つからなくたって何の問題もない。

 

なぜなら、目の前のやるべきことが、自分の使命に他ならないからだ。

 

だから、好き嫌いなんてものに囚われるのではなく、自分が信じた道を突き進むことで、本当にやりたかったこと、なりたかったものに出会えるのではないか?

 

そこには有利不利といった計算もなければ、取引による利害なんてものもない。

 

あるのは、純粋な思いと行動、ふるまいだけだ。

 

他人はどう思うか知らないけれども、少なくとも自分は経験上、そう考えている。

 

そして、人生は、いつでもこれからだとも。

 

今、とある宗教団体が批判にさらされている反面、実はもっとも問われているのが、まっとうな宗教観。

 

要は、信じ切れるものを己の中に持てるかどうか?が、問われているのではないか?

 

宗教=怪しい、なんて他者から与えれた概念に支配されていたら、人生おしゃかになっちゃうよ。

 

これは、宗教に限らないけどね。

 

もったいない人生を歩んじゃいけない。

 

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