正論? | 行政書士お~ちゃんの心学日記

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心を磨けば、食うに困らず

たまに聞く言葉。

 

「SNSなんて上っ面だ。」

 

このような批判がましい言葉を聞くし、以前も恥ずかしながら僕も言っていた。

 

ところが、実際に発信者に会い、話してみると、親しみが湧いてくる。

 

上っ面だと批判していた自分が恥ずかしくなることがあった。

 

上っ面と批判していた自分が、上っ面な思考しか持ち合わせていなかっただけじゃないかと。

 

ネットからは一部のみしか残念ながら伝わってこない。

 

いくら動画が発信できたとしても、そこに居合わせたところで感じられることには及ばない。

 

だからこそ、そこをきちんと理会しなければ、上っ面という批判だけに終始して、そこから得られている益にまで思いが至らない気がする。

 

SNSからだってたくさんの恩恵を受けている。

 

つい便利になりすぎた故の害に目をむかせがちだが、便利にも当然、益がある。

 

不便にも害のみならず、益も当然ある。

 

このような時代だからこそ不便益なのだということも耳にする。

 

が、同時に便利であるが故の益もきちんと認識したいと感じている。

 

物事の善悪は、判然としない。

 

なぜなら、人の心にも判然としない曖昧さがあるからだと僕は考えている。

 

どちらかに固着していては、判断や認識を誤りやすいようにも感じる。

 

心は簡単にどちらか?に割り切れるものではないからだ。

 

まったく話は変わるが、高校の頃、僕の担任の先生は僕が犯したミスを見て、咎めなかったことを思い出す。

 

(やっちまった!)と思った時、その先生は、みんなのいる前で見て見ぬふりをしてくれた。

 

瞬時に僕はその先生の心意気を感じた。

 

僕の記憶に深く刻まれている。

 

人は正論を求めていない。

 

曖昧さは、優しく、そして深い。

 

心学商売繁盛塾

 

2017年6月26日(月)天運を掴む!