たまに聞く言葉。
「SNSなんて上っ面だ。」
このような批判がましい言葉を聞くし、以前も恥ずかしながら僕も言っていた。
ところが、実際に発信者に会い、話してみると、親しみが湧いてくる。
上っ面だと批判していた自分が恥ずかしくなることがあった。
上っ面と批判していた自分が、上っ面な思考しか持ち合わせていなかっただけじゃないかと。
ネットからは一部のみしか残念ながら伝わってこない。
いくら動画が発信できたとしても、そこに居合わせたところで感じられることには及ばない。
だからこそ、そこをきちんと理会しなければ、上っ面という批判だけに終始して、そこから得られている益にまで思いが至らない気がする。
SNSからだってたくさんの恩恵を受けている。
つい便利になりすぎた故の害に目をむかせがちだが、便利にも当然、益がある。
不便にも害のみならず、益も当然ある。
このような時代だからこそ不便益なのだということも耳にする。
が、同時に便利であるが故の益もきちんと認識したいと感じている。
物事の善悪は、判然としない。
なぜなら、人の心にも判然としない曖昧さがあるからだと僕は考えている。
どちらかに固着していては、判断や認識を誤りやすいようにも感じる。
心は簡単にどちらか?に割り切れるものではないからだ。
まったく話は変わるが、高校の頃、僕の担任の先生は僕が犯したミスを見て、咎めなかったことを思い出す。
(やっちまった!)と思った時、その先生は、みんなのいる前で見て見ぬふりをしてくれた。
瞬時に僕はその先生の心意気を感じた。
僕の記憶に深く刻まれている。
人は正論を求めていない。
曖昧さは、優しく、そして深い。
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