このブログでは敢えて政治的なことを書かないようにしてきたが、俺にも多少秘めた思いもある
先日この映画を観たことを契機に、今回はその一部分を吐露させてもらおうと思う
映画を観た大変の人がきっと不快に感じるのは、頼まれてもいないのに人権感覚が狂ってる自覚がまるでないサンドラ・ヒュラーが演じる主役である収容所所長の嫁さんとその取り巻きの主婦仲間連中で、それ以外の登場人物は意外と同情の余地がある人間臭いキャラ設定になってる
周囲の状況に揉まれて悩み、間違ってはいるが抗う彼らが、つまり現代社会に生きる俺たちの鏡なのだ
この映画の監督はユダヤ系の人みたいたけど、映画に感化されたからといって、パレスチナ問題に対して考えて今すぐ何か行動をおこせ、というメッセージではないと思っている
重いテーマだし、ガザ地区の問題が未解決のまま進行中である以上、鑑賞後の感想に差はあれど何も感じない訳がないのだが、そのベクトルは中東問題だけに向けられるべきとは俺は考えない
一般論だが、問題の当事者ならばともかく万人が異国の地で起きていることにいちいち等しく思いを馳せるなんてナンセンスだし、逆に馳せるだけ、一歩踏み込んで例えばデモで訴えるだけでは実効性が不足しているからだ
もしも政治的な解決手段に及んでも、下手をすれば、他国からの内政干渉だとみなされることもあり、パワーがある分対応のさじ加減が難しい(どうひいき目で見ても武器供与以上に直接的な軍事力による干渉は不可で、各国首脳は言い訳として話し合いのテーブルというカードを切り続けるしかないが、これは何より軍事制圧を進めたいイスラエルにとって絶好の時間稼ぎになっている)
真面目にこれらの問題に取り組んでいる関係者には言葉が悪くて申し訳ないが、そういう意味で俺には問題解決へのアプローチの大半が茶番劇に見えて仕方ないのだ
話が大きくなったけど、何かをすることは必要だとして、パレスチナの紛争問題に関連付けずとも「あなたの身の回りの小さなことで、普段見て見ぬふりをしてることはないですか? 問題解決にちょっと勇気を勇気を振り絞ったらどうですか?」っていうことを提案している映画だととらえればいいのだと思う
鑑賞後にホロコーストの被害者の鎮魂を祈るだけよりも、上記が実行に移されさえすればこの映画が十分に有意義な経験になるんじゃないかと思うのだが