人は自分の運気の上昇をどう判断するのか?

分かりやすい例の1つはギャンブルに続けて勝ったりすることだろう

そう、質の良し悪しはともかく、日常に"勝ち負け"の要素を入れておくと、分かりやすくなる

で、俺の場合というと、それは "めざましじゃんけん" なのである

ある戦略を続けて、まあまあ安定した高得点を稼げているが、一応1週間で何点いけば目標クリアーという「基準」を設けている

最近、3週連続でその基準をクリアーしたことがあり、つまりそれが運気が上昇した、と感じる根拠になった(とした)

といって、何かが具体的に好転したとかの事例が起きた訳ではない

 

ただし、その戦略はどちらかというと「受動的」で、運の呼び込みは待ちの姿勢なのだ

実は最近基準をクリアーするどころか、低得点の結果が続いていて、運気の低迷と感じていた

不運と思えることが起きていなくて幸いなのだが、このままで良いのかという欲がでてきてしまい、一部"待ちから攻め"へ、じゃんけんの戦略を見直すことにした

喩えれば、自然の温度の上下で過ごしやすさの良し悪しを感じる毎日から、エアコンを使った日常へのスイッチング

それによって得られる結果が、果たして運気の変化と呼べるものなのか

 この問題は、じゃんけん戦略の変更とは別に、能動的な行動から得られる成果の享受でしか判断できないかもしれない



今年最後の更新

必然、そして偶然当ブログへお越し下さった方々へ感謝

来年も機会があればどうぞ駄文にお付き合い下さい

良いお年を


昨日はある方の一周忌

お墓参りは行けないけど気持ちは喪に服して過ごした

その気持ちの強さを確認したくて、あるレコードを携えて、行きつけのカフェで大音量で聴きたくて出掛けたが、時間が早すぎたのか満席で断念


帰宅して、持参したのとは別の、しかしこちらが本命の音源を静かに聴いて故人に思いを馳せた


◯◯さん、天国で一緒に聴いてくれたかなぁ


※念のため追記

古内東子さんは御健在の歌手ですのでお間違えなく


数日前の朝、寝起きで布団から出られずモジモジしているとき、不意に次の言葉が降臨した

 

「最低賃金」

 

詳しくは書けないが、どうやって進めていくか悩み行き詰まっていた仕事が、このキーワードがまさに打開策となって、同じ日の夕方までに嘘のように一気に片付いてしまった

その後散々思い返してもこのキーワードが呼び起こされるインプットが何も無くて、なんで頭に浮かんだのか、その後の仕事が捗った展開を考えれば考える程、過去にも似たような経験が思いつかない全く不思議な出来事であった

 

こんなことが滅多にあるわけではないのだろうが、あればまた味わいたい有り難い体験

残りの人生であと何回得られるだろうか?

 

ブログを17年も続けていると、実は完成には至らず所謂「お蔵入り」した下書きは結構な数になる

少し前からそれを拾ってリスト化する作業を続けている

あらためて見返すとタイトルや僅かな本文だけで、当時どんな内容を書こうとしたのかまるで見当もつかないものもあれば、ほぼ完成して少し手を加えれば掲載できるものまで、下書きの内容は様々だ

今回はその下書きの1つを蔵出ししてブログを更新してみた

 

昨年10月の休日、近所の居酒屋にランチを食べに行った時のことだ


店内にいるのは俺を含めた客、店員のわずか3人、静かに飯をかき込み、スマホをいじって時間調整してから退店しようと思っていたら、どうやらこの俺は時すでに「アウェイモードど真ん中」に突入していたらしい。

つまり、関西弁 × 2人 vs 標準語 × 1人(=俺)という構図、完全に数的に不利であったのだ

至近で繰り広げられる店員と客の上方漫才コミュニケーション、しかもその男性客は既にいい感じで出来上がっている

"うるさくてすんません" って、ちょっと絡んでくるのも関西流なのか、感じが悪い奴と思われない程度に気を遣って返した相槌をきっかけにガードを突破されて、より深く絡まれ始めてしまった

一旦絡み始めると関西人は本当に遠慮がない、さすがのしつこさである

相手は見た感じ還暦くらいか、話の内容からすると都内在住は長そうだが、そんなプロフィールは今更どうでも良いのだ

その後は彼の、いや関西人の鉄板フレーズであろう、「なんでやねん」をトーク末尾に、関東人からすれば意味もなく連発

入店して20分位なのに、絡まれ始めたらもう20回、いや50回、いや多分100回にも達する位聞かされている

それに阪神ファンだということを猛アピール、わかったよ、それ、もう要らん…

俺は抗しきれず、再びスマホをいじり始めて濃厚な絡みから一時避難した

ふと気付くと先ほどの喧騒が嘘のように店内に静寂が訪れてて、どした?と隣をみると「おい!おっさん、寝とんのかい!(怒)」

あとから店員に聞いたらこの日この客は大ジョッキ3杯を食らったそうだが、ベロベロになり過ぎて、お会計時から退店時までは全くの前後不覚状態、なのになんと自転車で帰るとか言っているし、全く危なくて仕方ない…

 

ややストレスから始まり、最後にはハラハラドキドキまで味わって、下手なドラマなんかより全然おもろい休日昼下がりであった


寝付けない時に羊を数えるという習慣は大昔の西洋が起源とのこと

そのイメージが牧歌的であったり、頭の中で数字を単純に数えるという作業が精神にとって落ち着きをもたらすと分析されているようだ

それと同じかどうかは分からないが俺も近年寝付きについて自己流を編み出し実践している

始めたきっかけは全然寝付きとは関連のないとある偶然なのだが、その詳細は今回は割愛する

で、肝心な要領であるが、それは自宅最寄駅への道筋を頭でイメージするということなのだが、恐ろしいことにこれが効果面で百発百中なのである

出発地は自宅以外でも構わない、道半ば、例えば⚪︎⚪︎という店の前から駅までの道筋を、可能な限り周りにある風景の像を具体的に再現イメージする作業に床に横になって集中するのだが、何故か朝になるとほぼ毎回駅まで辿り着く記憶が残らず寝落ちしたことに気付く

これをしばらく前から毎晩実践している

結果には傾向があり、それは多くの場合、目の前の信号を渡ると駅まで残り50メートルというところまでは記憶がある、その先に歩を進めることができないでいる


このブログを書くまで意識していなかったが、言われてみればそのイメージは"牧歌的"、"単純作業"という点で羊数えと似ていなくもない

もしもこの要素が安眠目的で人類共通のキーワードだとすれば、寝付きの方法は千差万別ということになるだろう

長い夜とお友達になっている方々に対して、1日も早く勝利のパターンに巡り合う結果が訪れることを祈るばかりだ