祝日スペシャル 大昔の下書きの蔵出しにお付き合い頂こう

 

帰宅時の電車内で、途中駅から何かが匂っていることに気がついた
自分以外の"乗客"の入れ替わりがそのきっかけだとすると、目の届くところに臭いの犯人がいるはずなのだ
そう思って目線を動かしておやっ?て思った
途中乗車の乗客は女子しかいなかったからである

実は俺は生まれつき有機系の匂いには殊更敏感な体質で、それこそ犬のように鼻が利く
習慣や体質のことを偏見をもってとやかく言いたくはないのだが、こういうときは己の体質が恨めしい

しょうもないその体質が好みと連動して匂いフェチの方向へ振られたらどんなに楽しいだろって妄想が浮かんでは消える
 

饐えた臭いを振り撒く女子 大、大、大好物ですって
あなたの"セールスポイント"、貪欲にフォローできるのになぁ

って、そんなフェチ享楽の夢は綺麗好きな俺という現実には勝てはしないが


DO YOU SUPPOSE THAT I COME TO BRING PEACE TO THE WORLD? NO, NOT PEACE, BUT DIVISION.
FROM NOW ON A FAMILY OF FIVE WILL BE DEVIDED, THREE AGAINST TWO AND TWO AGAINST THREE.
FATHERS WILL BE AGAINST THEIR SONS, AND SONS AGAINST THEIR FATHERS; MOTHERS WILL BE AGAINST THEIR DAUGHTERS, AND DAUGHTERS AGAINST THEIR MOTHERS; MOTHERS-IN-LAW WILL BE AGAINST THEIR DAUGHTERS-IN-LAW, AND DAUGHTERS-IN-LAW AGAINST THEIR MOTHERS-IN-LAW.
 
突然のネタとなるが、アニメ「機動警察パトレイバー」の新作シリーズ"EZY"が来月5月から公開予定であり、それに伴うプロモーション企画として、先日までyoutubeで過去の作品が日替わりで放送中だった
その中で押井守が監督した劇場版2作も配信された
この「劇パト」版のうち、93年公開の第2作は「戦争」をテーマとしたリアリティを追求した作品として、あまり売れなかったが当時一部ファンの間で話題となり、公開から30年以上経った現在でもテーマや描かれた世界の先見性など、アニメの枠に収まらない名作として位置付けられている
当然俺もこの映画の大ファンで、過去に数え切れないほど視聴してきたが、数ヶ月前の劇場においての4Kリマスター版のリバイバル上映にまで足を運んだほど、未だにお熱が覚めていない
 
さて冒頭の英文はこの作品に登場するある目的を持った「メッセージ」である
一応断っておくと、上記は新訳聖書 ルカによる福音書12章51-53節部分の引用であるが、この福音書は元々ギリシャ語で書かれたものだから"英訳文"は沢山あって表現がそれぞれ微妙に違ったりする
今回は劇場版2のLDのスリーブに印刷されている情報を転載したので、俺がどこかの聖書サイトを見てコピーしたものではなく劇中に登場した原文の正確な表記である
 
これに対する劇中に登場するキャラクター"南雲しのぶ警部"による訳文語りの台本セリフが以下だ
 
我地に平和を与えんために来たと思うなかれ。
我汝等に告ぐ、然らず、むしろ争いなり。
今から後一家に5人あらば3人は2人に、
2人は3人に分かれて争わん。
父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に
 
 
 
今回英文原文を初めてちゃんと見てあらためて思いを強めたが上記訳文の「3人は2人に、2人は3人に分かれて争わん」の箇所は誤解を招きやすい訳な気がしてならない(これは余談だが原文にある"嫁と姑の下り"がばっさりカットされているという個人的に衝撃的事実は、今回このネタでブログを書こうと原文の調べ物を始めるまで全く知らなかった)
この部分の趣旨は「5人家族であれば、3人対2人に(その組み合わせは別にして)分裂する」ということだ
ここでいう組み合わせというのは、父母対子供たちとか、父と息子2人対母娘などの人員構成の例ではないし、そもそも数の問題が本旨ではなく、訳文で「我」を名乗る神様の有り難い教えを守れるかどうかで、より広義ではキリスト教信者か否かで、双方の対立・分断が起こるから気をつけろ、というのことを指しているのである
 
ところが原文を全く意識してこなかったのが災いして、この訳文から俺は「3人→2人になる、2人→3人になる」と物理的な状況の変化が起こるとばかり思ってたので、一体これは何を象徴しているのだろうとずっと思い悩んできた
混乱をさらに複雑にしたのがその後の「父は子に…」の訳文で、全段の"数字遊び"のミスリードが頭から離れない俺にとってここも必要以上に真意を掘り下げて考えてしまい、結論のない悩みのネタになっている
で原因となっているのは原文で"AGAINST"という単語が導く「対比」を表現するのに訳文で使われている助詞「は」の使い方ということになるとようやく理解した
つまり訳文にスマートさや衒学的趣味を目指したのかは知らないが、"WILL BE DEVIDED"と"AGAINST"をくっつけて「分かれて争わん」とするなら、むしろ「3人と2人」「2人と3人」のように「と」を使ってくれていれば、原文を知らなくてもどれだけ本来の趣旨を理解しやすくなることか…
訳文の最後も原文通りなら「娘」と"子"ならぬ「息子」と両親との対立になるが、前述の混乱で、「子が"息子"のことを指しているとして、何故同性同士が争うことになるのか」という、意味のない疑問で長いこと頭はフリーズしっぱなしだったというわけだ
 
ではこの引用が劇中のストーリー展開、テーマとどうリンクしていたのか、これこそ今回のブログ上梓の目的であり難解が故に長年手を付けてこなかったネタである
記述内容を通じた少々のネタバレは覚悟の上、いよいよ後篇でそれに取り組んでみたい
 
 
 
 


ご存じ、俺様的レコードのある生活は順調だ

最近行きつけになっている店を夜までハシゴすることもあれば、帰宅が22時、23時になるなんてことも慣れっこになってきた

レコード持参で県外に遠征することもあり、夜にビールを飲んで終電を気にしつつレコード談義をしていれば深夜になるわけだが、くれぐれも良識ある大人の方々には、この愚行に対して木で鼻を括ってほしい

 

あちこちの店でレコード鑑賞を続けて分かってきたことがあり、何かというとある程度音楽を時間をかけて聴き込んだレコードカフェやバーのオーナーは、他の人がどんな音楽を聴いているか気になる境地に至るようだ

 

こうなる動機は2つある気がする

1.今までに知らなかった、しかし刺さる曲を、より楽をして開拓したい

その意味で、俺が好んで持ち込むレコードは、彼らにとってはspotifyから勝手におススメされる曲と同義である

 

そして、これが多くのオーナーに共通してるだろう訳なのだが、

2.自分が知ってる曲を他のリスナーと共感したい

俺の経験上、「またレコードをもってきて」というのがオーナーの決まり文句になっている

 彼らは評論家ではないから自身の趣味に合う音楽しか聴かない

時間と金を使って集めたレコードは、己のアイデンティティの化身とも言える

店のストックのレコードに加えて俺が持参したレコードをネタに、彼らの趣味に合わせた話をオーナーとする、これは彼らの承認欲求を満たす行為になるのだ

 

それが分かって以来、店で払う対価として、そっと、しかしかなり意図的に

「この曲、刺さりますね」

という口添えをプラスする、そうして彼らの承認欲求をくすぐっている

 

レコードカフェ、レコードバーとはオーナー自慢のコレクションが商売道具になっている特殊な飲食店だ

もしも彼らとより仲良くなりたければ、きっと全国で大概通用するだろうキラーワードとして、上記をオススメしたい

昨年末はカップ蕎麦で適当に間に合わせた埋め合わせに、先日とある店で年越し蕎麦ならぬ持越し蕎麦を喰らってきた
そもそも大晦日に蕎麦を食べる風習って、いつの間にか始まったみたいなそれこそ適当な物なので、それ以外の厄払いや縁起担ぎの意図だけ取り上げたら一年中いつ食べてもいい訳だ

俺的に珍しくコースを予約して、ゆったりした時間の中でいい蕎麦、いい酒を堪能しつつ、無病息災な1年を望む祈念にもなって、結果的に良い節目のイベントだったのではと納得している


人は自分の運気の上昇をどう判断するのか?

分かりやすい例の1つはギャンブルに続けて勝ったりすることだろう

そう、質の良し悪しはともかく、日常に"勝ち負け"の要素を入れておくと、分かりやすくなる

で、俺の場合というと、それは "めざましじゃんけん" なのである

ある戦略を続けて、まあまあ安定した高得点を稼げているが、一応1週間で何点いけば目標クリアーという「基準」を設けている

最近、3週連続でその基準をクリアーしたことがあり、つまりそれが運気が上昇した、と感じる根拠になった(とした)

といって、何かが具体的に好転したとかの事例が起きた訳ではない

 

ただし、その戦略はどちらかというと「受動的」で、運の呼び込みは待ちの姿勢なのだ

実は最近基準をクリアーするどころか、低得点の結果が続いていて、運気の低迷と感じていた

不運と思えることが起きていなくて幸いなのだが、このままで良いのかという欲がでてきてしまい、一部"待ちから攻め"へ、じゃんけんの戦略を見直すことにした

喩えれば、自然の温度の上下で過ごしやすさの良し悪しを感じる毎日から、エアコンを使った日常へのスイッチング

それによって得られる結果が、果たして運気の変化と呼べるものなのか

 この問題は、じゃんけん戦略の変更とは別に、能動的な行動から得られる成果の享受でしか判断できないかもしれない



今年最後の更新

必然、そして偶然当ブログへお越し下さった方々へ感謝

来年も機会があればどうぞ駄文にお付き合い下さい

良いお年を