藤の花が咲いてくれました!!
攻殻機動隊「攻殻機動隊 SAC_2045」シリーズを全作品観て、あらためて神山健治監督の凄さを実感しました。
僕は元々、押井守監督の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』を若い時に観てこれは凄い作品だなぁと衝撃を受けて、そして同監督の「イノセンス」『Avalon』を観て、やはりこの人のセンスと世界観の表現と映像美と音楽の融合、そして荘子の「胡蝶の夢」的な思想的な表現にとても心惹かれました。
そしてその頃、ちょうど神山監督の「攻殻機動隊 S.A.C.」がはじまり、この人のアプローチはまた押井監督とは違う、その時代の現実社会へ対してのリアリティ、デジタル社会へと変貌して行くその今とこれから、そして政治や国家や日本という国の世界情勢での立ち位置等をSFをとおしてNET社会の浸透したこの現実をあらわしていて、この人も本当に凄いと作品に見入っていました。
そしてあらためて、この「攻殻機動隊」を題材に作られた両監督の作品をまた見なおして
あぁこの両監督と作品は凄いと実感しました。
サブスクで観るなら「U-NEXT」でほぼ全作品観れるので、興味を持たれた方は是非、お時間にゆとりがある時にでも、作品達を観てみてください。僕的にとてもお勧めです。
「U-NEXTで視聴」
アニメ「東のエデン」U-NEXTに入っている時に全作品観て、俺はメチャクチャ面白かったんだけど
周りに観てる人いないんだよなぁ…
この作品アニメとか観るのに抵抗の無いSFやサイバー・パンク作品好きの人には超!お勧めです!!
それでもし気が向いて観てくれた人が居ましたら、是非!感想とかこの作品に関するお話とかして遊びたいので、気軽にコメントください!^^/
「東のエデン」をU-NEXTで視聴
いよいよもって、本当に現実社会がフィリップ・K・ディックさんの書いた短編
「CM地獄」!!
最近、とても意識して思う事は
NETとSNSが普及して
なんか「文字」や「言葉」の理屈の世界で暮らしているような人がとても多くなってきているようだなぁと感じてきています。
もし、そうだとしても、人間は生身の生き物なので
「文字」や「言葉」だけではなく、一番大切で重要なのは
実際に生きてきた「生身の体験や経験」なんだよなぁと思います。
日々の生身での生活自体が充実していないと、「文字」や「言葉」の世界やSNSばかりに現実逃避のように逃げ込んでしまい、その世界に縛られて生きているようになってしまう物なのかもしれないと、思いました。
実際、自分自身もSNSなどは見たり活用もしますが
大切なのは生身の現実や、生身の日常の生活だよなぁと、とても感じる日々です。
ふと、思ったこと
自然の草木や動物たちは何も言葉は語らず
ただそこに生き続けているということで
生きるという事のすべてを人間に見せ思い知らせてくれてるんだよなぁと
ふと感じた。
この気付きがとても自分に響いたので
雑感として書置きして置く事にしました。
VRとAIが俺が生きている間にこんなに発展するとは思っていなかったなぁ…
自分が子供の時にYMOとインベーダーゲームに遭遇して、そして映画「 TRON(トロン)」や「ウォーゲーム」とかを観て、コンピューターとは凄まじい凄いもんだよなぁと思ってから、もう40年ぐらいは過ぎたんだけど
SF小説の中では60~80年代には色々な未来が描かれていて、なかでも「フィリップKデック」さんと「ウィリアム・ギブスン」さんの作品が好きでそんな未来像を自分の未来にもえがいて、そうなって行かないかなぁとか当時からNETが普及しだして大衆化するまでは思っていたんだけど
いざ、今現在のこの現実世界になってみて、自分自身が自然や昔ながらの人々の暮らしになにか強く惹かれるようになってきて、実際に自然の残る田舎に引っ越して、そして今現在の世の中を一歩離れた視点で見るようになってみると
あぁ、この現在の世の中って、本当に充実して成熟して行っている未来なのかなぁと思う気持ちが強くなってきています。
都市部での暮らしというのは 自分自身も東京で生まれ、東京で育って、東京で生活してきていたので、その時にはほとんど気が付かなかったんですが
都会で生まれ生活していると、人間を中心として人間から見たこの全世界という感じだったんだと気が付きました。
実際自然のある田舎に身を置いて生活してみると、この地球のほとんどはまだまだ自然の世界で(日本もそうです)人間中心の人間から見たこの世界というものは限られた都市部や発展したテクノロジーを活用しまくらなくては暮らしていけない、ある意味、特殊な限られた環境なんだと気が付きました。
実際田舎で暮らしていても、NETやスマホは現代の社会の一員として暮らしていくには必需品で、それがないとまともに公的な手続きや、買い物なども出来ないものなのですが
しょせん人間はこの地球という惑星の自然環境から得られる自然の資源無しには食べ物も、そして石油なども手に入らず、薬にしても元々は自然からの由来の物から生成されて作られている物なので、自然無しには人間の生活も命もなりたたないものなんだよなぁと、とても思うようになり
今、自分自身はこの惑星の自然環境の方から見た人間という一生物という人間の見方に代わりました。
自然のままの動物たちはたくましく、そして草木も共にたくましく、そしてただただ自然に生き、暮らして、自然に死んで土に帰って行きます。
話が長くなってしまいましたが、とにかく自分自身はこの惑星の自然の中から生まれて存在しているだけの、自然の方から見た一生物としての人間という自覚と、ただこの星の一生物としての人間という存在なのかぁと、とても思うようになりました。
結局、いくらテクノロジーが発達しても人間はこの惑星の自然無くしては生きられない、ただの一生物なんですよね。
今は日々、自然の動植物達や、この星の自然(太陽や月を含むこの星以外の太陽系や宇宙にも)只々、「俺に命を与えてくれてありがとう」と感謝して暮らしています。