川井小路のブログ デル・トボーソ日記 -9ページ目

川井小路のブログ デル・トボーソ日記

ブログの説明を入力します。



 「わたしの先生」 とローズさんが言ったのは、ノースロップ・フライのことでしたが、ルチアも彼のことがずっと好きでした。
彼はボルヘスの後任者として、ノートン講義で こんなことをおっしゃる魅惑的な先生なのでした。


   もっとも深遠な文学経験、言ってみれば われわれがすべて見てしまった後で還っていくような文学経験
   は、読んでもらっているお話にうっとりして、物語の論理など気にもとめない 子供の経験に近いかも知れ
   ない。 …  ポーは未熟な読者にしか向いていないと言う批評家は大勢いた。にもかかわらず、ポーは
   文学がこれまで生み出したもっとも幽玄な詩の一派(フランスの象徴主義の詩人たち)にもっとも強い影響
   を与えたのである。…


これは 『ペリクリーズ』 の話しのついでに語ったことですが、こんなことを言う大人の男の人には、ついぞお目に掛ったことのなかった
ルチアは非常に驚いて たちまち夢中になってしまいました。
しかも、その話に続けて ゲーテの 『ファウスト』 を、「まとまり」に欠ける「原型の続きもの」 という首尾の取らえ方をして、彼は終始一貫
するわけです!  

 彼はと言えば、極北の高地にある 古くて深い湖を渡って行く 孤城の住人なのでした。
城壁と城門は青銅で、堅牢な大伽藍は大理石で出来ていて、 内部を ひときわ高い天蓋部分から地階奥までを通じる螺旋階段には、
ぶ厚な深紅の絨毯が敷かれていて、その手すりは精妙な細工の象牙の透かし彫りなのでした。  
こんなに最基底部まで降りて 高い柱を建てるやり方は、ほとんどの場合は 労多くして功なしなのです。 
上下の透視と言う方法は、私小説の飽くなき発展型であるこの国の巧者達には 全く馴染んでいないから、
嫌悪されるのです。それを書けば、単純、幼稚、既視感、焼き直し…と言われます。

    
   それに あなたが知り得た 最高の真理はむやみに学生どもに言うわけにはいかないでしょう。


メフィストフェレスがファウストに語ったこの部分を読むと、ルチアはいつも忸怩たる思いにかられました。 なるほど、
一切合財が整った、いざ、鹿島立ちという場面にあったこの台詞には、出発を寿ぐものはなく、むしろ躊躇させるものでした。
ルチアは急ぎ過ぎて、無様に滑稽にも、過去に何度も失敗したのでした。 フライ先生はそれを見越して表面上の起伏を追うことに
専念しています。 内部・ 精神・ 魂 は単一で、ただ一枚の白い経帷子を身につけた憐れな水子のようなものでした。 もう一度、
深く息を吸って 潜ってみましょう。