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川井小路のブログ デル・トボーソ日記

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随分、以前のことなのですが、枕頭に
『小説の方法』 という本を長い間 置いて、わけも分からず苦しんでいたことがありました。それは
「インテリゲンチャは社会の触角であり、心臓であり、頭脳である。そこで味われる生命感がその社会の生命感である。」
と言っていた伊藤整の方ではなく、別な方、大江健三郎のものでした。

その力は一目で歴史越えをしているとわかる 第一走者がいきなり 全速力で飛び出して来たのでした。
ムージルの『特性のない男』でした。

たぶん、今頃になって なぜ、あんなに長いこと気が伏せって、憂鬱症のために顔を挙げられなかったのか、自分でわかっています。
ムージルは 決して異化し得ぬもの それを書き続けた希有な偉大な作家だったからです。
異化のための方法のための方法論は彼には、合いません。しかも、その相手がよりによってアガーテの部分!
誘導されることに強く抵抗していたことに気づきます。

『特性のない男』については、とても重要なので、急いで取り纏めて言うことはできません。「回心」あるいは「反転」の状態があって、
それは、宗教が使う「回心」ととてもよく似ていると思いますが、パウロやアウグスチヌスが経験したし、パスカルやデカルトが、その一瞬を理解しました。 
ウルリヒは、第40章で、「この瞬間に、生涯だまされながらも恋してやまない恋人でもおもうかのように<精神>という不思議な体験を思い出した。
そしてその体験が、彼が目に耳にするすべてのものと彼とを結びつけていたのである。」

いつも、いつもそこに強烈な磁場がある。

一方、その比喩にまた比喩を重ねていく男の様子がまことにおもしろく書かれているのです。
人間が大地に立ちあがって、地平線を見ている。または一人、小舟に乗って水平線を見ている。すべてのことはそこで起こっている。
それを描くために技術をこらす。いろいろな人がいろいろに策を練る。百人百用で済むわけではなく、その一人一人の人間は飽きやすいし、
じっと我慢することは意味がないと思っているので、異化に更なる異化を課す。

「彼は、雪がときには彼にとって不愉快であるという理由から、雪を女のまぶしい乳房になぞらえ、すぐさま乳房を
まぶしい雪になぞらえるのだ。
…彼は万事を何にでも変えることが出来る―雪を肌に、肌を花弁に、花弁を砂糖に、砂糖を白粉に、白粉をふたたび粉雪に。なぜなら、
彼にとっての唯一の関心事は、ものをそれではないものにすることだけにあるらしいからであり…」

言葉は猿のように一本の木から次の木に飛びまわる。
そして、各々が立って歩いているこの前方の半円の下には、もう一つの半円があることを、うすうす気づいている人達もいる。