高知の黒潮町と四万十市の土御門上皇所縁の地を訪ねて | ののちゃんブログ

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四国は徳島で暮らしている、ののちゃんの日記です。

WVOの改良作業をされている四万十町のTさん宅を一時離れ。。。僕ののちゃんとパワ友さんは、土御門上皇の所縁の地へGOGOGODASH!

まず、最初に向かったのは、高知県幡多郡黒潮町上川口付近、 大方町史などの郷土資料によれば、この近辺に遷幸されるとあるが、明確な場所を特定することができませんでした。


次に向かったのは、高知県四万十市蕨岡甲(わらびおかこう)4727に鎮座する「高良神社」

こちらには、「土御門上皇(天皇)蕨岡御所伝承地」っと、石碑が建っていました。

「阿波の国・土御門上皇」のマップを制作する際、いろいろとお世話になった徳島県阿波市の蓮生寺K住職様は、以前、こちらに立ち寄られ、上皇について講演されたと聞いております。

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(写真)高良神社(こうらじんじゃ) 神社前の道を挟んだ向かい側には、後川がゆったりと流れていました。


最後に向かったのは、高知県四万十市大屋敷にある「井森神社」

以前にも書きましたが、京から中村の地へ配流なされた後、上皇の妻と子が亡くなった場所とされています。

しかし、その少し手前の側道にある「六條神社」の看板に目がとまり、車を駐車して立ち寄ることに。。。

その看板には、次の内容が書かれていました。


『六條神社
承久3年(1221年)承久の変で土佐に流された土御門上皇を追って、この地へきた千代鶴姫は、急に産気づき、片魚口で皇子を出産した。
ここを通過中産後の疲労もあり、樹のもとで休憩していたら樹の間から八匹の狼が現れた。
姫は皇子を抱え樹に登り、追い払おうと鏡を照らしたが、誤って鏡を落とし、姫・皇子ともに狼におそわれ無念の最後を遂げられたと伝えられている。』


何と悲惨なお話しでしょう。。。パワ友さんも言ってましたが、こんな酷い話しをリアルに書けるのは、本当にあった事実だから。。。っとビックリマーク 納得いきます。


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(写真)六條神社の哀しい謂れが書かれている看板。


先月の10月17日 にT宮司と上皇の所縁の地である高知の香美市を訪れた際、最初は高知中村(四万十市)をお誘いしたのですが、「暗い、行きたくない」っと仰ったので、その時は行かなかったのですが、今日ここへ来て。。。納得!!


ののちゃんブログ-六條神社
(写真)六條神社の鳥居前。


しかし、非常に悲しいお話しです。。。いや、事実です。。。


ののちゃんブログ-六條神社
(写真)六條神社の境内。


僕ののちゃんとパワ友さんは、境内に入って、参拝をさせて頂きました。

この「六條神社」で、千代鶴姫と皇子の悲しい謂れを確認した後、当初の目的地であった「井森神社」へ。。。地元の女性に場所を聞いて向かいました。 

1分もかからない道端に車を駐車して、少し長い階段を歩いて登りました。


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(写真)井森神社の参道。 鳥居には新鮮な榊が両端に置かれていました。


こちらの神社には、上皇に関する石碑などはありませんでしが、「坂本重吉翁頌徳碑」という石碑だけポツンとありました。

こちらも二人で参拝を済ませ。。。土御門上皇の高知ミニツアーを終え、WVOの作業をされているTさん宅へ戻りました。


夜、徳島に戻り、まず最初に寄ったのは阿波市にある「土御門上皇行宮跡」。

パワ友さんと一緒に参拝していると。。。何となくですが、僕ののちゃんは鳥肌をたてながら、「ありがとう」と女性的な感情を感じておりましたあせる

これで良かったんだ。。。っと何となく思いました。

今日一日、パワ友さん、お世話になりましたニコニコ