土御門上皇 所縁と伝説の地 観光マップ 第二版の校正完了 | ののちゃんブログ

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四国は徳島で暮らしている、ののちゃんの日記です。

来月、第二版の「土御門上皇 所縁と伝説の地 観光マップ」を発行するにあたり、この鳥羽神社を入れるか入れないか。。。その判断もあって、以前、この神社の総代だったTさんのご自宅にお伺いしましたあせる
午前10時過ぎ、ご自宅にお伺いすると、Tさんは快く応接間に案内して頂きましたニコニコ

いろいろな情報と提案を頂きまして。。。帰り際、一緒に神社へ訪ねてみました。


ののちゃんブログ-鳥羽神社
(写真)上板町瀬部にある鳥羽神社。


鳥居の横には、以前、Tさんのお父様がたてたと言う、神社案内板がありました。

後鳥羽天皇の左遷の悲しんで、阿波民部重能がその影姿を模写したとあります。

その詳しい内容は、次の写真の通りでして。。。


ののちゃんブログ-鳥羽神社謂れ
(写真)鳥羽神社の案内板。


しかし、上板町に合併される前、この瀬部地区は、名西郡高志村でして、その「高志村志」の鳥羽神社の説明には、2つの説があります。


1つ目が、鳥羽皇子なるものこの地に遠島され、今の鳥羽神社付近にて居住せんとその子にして祭らるるものが即若王子神社、乳母なりしものを祭らるるものが乳母神社。。。と記されている。


2つ目が、時代が新しくなり、今から500年ほど前、浪人の鳥羽與四郎さんの功績により、後に建立された。。。とも書かれていますあせる
ののちゃんブログ-高志村志
(イメージ)1913年に出版された高志村志の鳥羽神社のページ。


どの説が有力なのか。。。迷うところですが、とりあえず。。。昼近くだったので、Tさんにお礼を言って別れましたパー
その高志村志に書いてある、若王子神社と芭蕉神社をチョット訪ねてみることにしました。

その途中、大きなクスの木を発見目

案内板を見ると「鳥屋の大クス」と書いてありました。県の天然記念物だそうで、樹齢は700年以上叫び

その幹には大きな開口部がありまして。。。その中に入ってみると、ほのかな樹木の香りに包まれ、クスの木と一体感をあじわえましたグッド!


ののちゃんブログ-鳥屋の大クス
(写真)鳥屋の大クス。この開口部には、余裕で大人10人は入れます。


若王子神社は、発見することができませんでしたが、芭蕉神社は廣坪神社として建立されいました。 どちらの神社とも、鳥羽神社に合祀されているようです。


それから、昼食を済ませ、13時に師匠の自宅に行きました。

只今、師匠は健康茶の試作に没頭されていまして、その作業をビデオに収めました。

その健康茶の原材料は黒米と玄米でして、2時間以上、土鍋で炒って、最後に臼で粉にしていくそうで、その健康茶のサンプルを少し頂ましたニコニコ


ののちゃんブログ-黒米茶
(写真)師匠の健康茶作りを撮影。 大きな土釜に、黒米と玄米を混ぜて炒っている様子。


実は、阿○市観光協会のFさんと会う約束を師匠の自宅でしていて、14時過ぎにFさんが来られました。

以前、渡した土御門上皇マップを切らしたとのことで、新たに200部、お渡ししました。


それから、師匠の自宅を後に、次に伺ったのは、御○神社などの宮司をされているI宮司のご自宅へ行きました。

I宮司も土御門上皇マップを切らしているとのことだったので、95部ほど、お渡ししました。

これで、僕ののちゃん自身の手持ちは5枚だけ。。。


でも、来月には第二版が出来上がる予定なので、OK牧場グッド!


ののちゃんブログ-土御門上皇マップ
(写真)第二版の「土御門上皇 所縁と伝説の地 観光マップ」の表紙。 ほとんど第一版と変わりません。


とりあえず、今日その第二版の校正を完了することができましたチョキ ヤッホ~

変更した箇所は、「嵯峨原の女御」の地図の表記はそのままに、写真と文面による説明を削除、その代わり、「鳥羽神社」の写真と文面を加えました。

今日も訪ねてみたのですが、「嵯峨原の女御」の場所は非常に分かりづらいのと、足場が悪いので、行き易い「鳥羽神社」に切り替えました。

その他は、大きな変更はありません。 第二版は、3,000部を印刷する予定ですDASH!