それは、瓶浦神社(カメウラ)の境内で100回、地面をたたくお祭り。
さっそく、夕方に現地入り。
誰~も居ない静かな境内



まず、この神社の説明ですが、鳥居をくぐるとすぐ脇に、謂れの碑がありましたので、その文を下に記載します。
瓶浦神社
鳴門市鳴門町土佐泊浦福池
本社は大海竜王神を奉斎し、おかめ様と呼ばれる
奈良時代薩摩より素焼の大瓶を朝廷に献上する船が
鳴門を通過する時、風雨に遭って転覆。
今から約千二百余年前、霊亀年間(715-6)海中にあるを発見、
引き上げた瓶を、御神体として、祀り、海上安全・豊漁・雨乞いの祈願に
霊験とくにあらたかで、広くこの地方住民の崇敬を集めている。
昭和56年10月吉日

ようするに、奈良時代、ミカドへの貢物を乗せた薩摩からの船が、この辺の海で転覆し、その後、大壷だけ発見され、それを御神体にしている神社!ってこと。
古代から、薩摩のことを、『アタ』と呼び、徳島を『アワ』と呼んでいたようです。
日本の至る所に、関連した地名は残っていますが、何れも『アマベ』と言われる海洋民族の子孫達です。
そんな港では頻繁に船が往来していましたが、この転覆は、いつもと様子が違っていたようですね。
奈良時代の朝廷は、もちろん奈良吉野でしたので、紀ノ川(吉野川)を上流へと、のぼれる中規模の木造船でなければなりませんでした。
そんな船に大人が入る位の大壷を数十個乗せるという、ちょっと無理っぽい運搬だったようです。
6月4日頃にアタを出発し、6月5日頃にアワに到着、6月6日頃にアワの貢物を追加で乗せ再出航。。。しかし、沼島の手前で転覆。大瓶の中身は潮で流され、大瓶だけが数個、鳴門海峡近くの海底で発見されました。(いずれも新暦)
まぁ~これは、ののちゃんの推測ですけど。。。
大瓶の中身は何だったのでしょうかねぇ??? 大変、貴重な貢物だったに違いありません。
アマベ族なので海に潜って、大規模な回収作業をしたのでしょうきっと。
ちなみに、徳島に住んでいる僕のご先祖は、その薩摩(阿多)なので、勝手ながら非常にこの手の話しには興味深々です


では、瓶浦神社の例大祭の概要を以下にまとめました。
場所: 鳴戸福池の瓶浦神社境内
日時: 6月4日から6月6日の間
祭り: 拝殿前で、ジャンプ100回
必需品: 正確な跳び回数をチェックするため、計測付き縄跳び
心構え: 家族と言えども、誰にも気付かれないように、例大祭を行なうこと
主な意味: 地面をできるだけ強く100回たたき、沈んだ貢物と祖先のパワーを年1回呼起こし、お祈りする 縄跳びで代用
※体重100kg以上の重い人や物で地面をたたくのがベスト!ののちゃん、ちょうど100kg


この神社は、鉄筋コンクリート造の頑丈な神社です。海峡にある小高い山を削った、非常に風の強い場所なので、瓦も使わずコンクリートの神社にしたのだと考えられます。
屋根の上に付いている神紋は、『逆卍』ですが、拝殿の中を覗は、『正卍』です。。。これって、他の神紋でも内外で少し異なることが多々あります



この瓶浦神社のすぐお隣にヒッソリと。。。名も無き神社がありました。小さな鳥居を潜り、石積み階段を上がると小さな祠がありました。
ひょっとして、奥の宮なのかな?

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