おのころ心平です。
いばる男の人って、
要するに、
まだ一流でないってことなのよ
『ローマの休日』
『ティファニーで朝食を』
『シャレード』
『マイ・フェア・レディ』など
数々の名作に出演し、
ハリウッド史上最も愛された女優
として知らぬ人のない名女優。
(1929年5月4日 - 1993年1月20日63歳没)
そんな彼女はこんな言葉も残しています。
何としても
避けたかったのは、
人生を振り返ったとき、
映画しかないという事態です。
アカデミー賞、
エミー賞、
グラミー賞、
トニー賞の
受賞経験を持つ数少ない人物の一人ですが、
彼女は、後半生のほとんどを
国際連合児童基金(ユニセフ)での
仕事に捧げました。
1992年終わりには、
ユニセフ親善大使としての活動に
アメリカ合衆国での
文民への最高勲章である
大統領自由勲章を授与されています。
***
幼少期、父親が家を出て行き、
母とともにイギリスのケントへ移住した
ヘプバーンさんは、
1939年から1945年にわたって
アーネム音楽院に通い、
またウィニャ・マローヴァのもとで
バレエを学びました。
美しい目が欲しいなら、
人の良いところを探しなさい。
美しい唇が欲しいなら、
優しいことだけを話しなさい。
落ち着きが欲しいなら、
自分はひとりではない
ということを胸に歩きなさい
↑
これ、響きますね。
日常、こうして意識をして過ごせたなら、
自分で、いい顔をつくれそうです。
そして、
僕がヘプバーンさんの言葉の中で
もっとも好きなのがこちら。
↓
控え目であるためには、
その前に、なにかに
立ち向かうことが必要です。
この言葉だけがずいぶん前から、
僕のココロにあって、
いつか真意を調べてみようと思っていて、
今回、へプバーンさんの人生を
少し振り返ってみました。
戦時中、バレエを習って
過ごした頃を思い出して
ヘプバーンさんがのちの
回顧インタビューで話した記事・・・、
「駅で貨車に詰め込まれて輸送される
ユダヤ人たちを何度も目にしました。
とくにはっきりと覚えているのが一人の少年です。
青白い顔色と透き通るような金髪で、
両親と共に駅のプラットフォームに立ち尽くしていました。
そして、身の丈にあわない大きすぎるコートを身につけた
その少年は列車の中へと呑み込まれていきました。
そのときの私は少年を見届けることしか出来ない
無力な子供だったのです」。
・・・こうした思いが後半生の
ユニセフ活動につながったのかもしれませんね。
すべては
内面から湧き出さなくてはならない。。。
心を込めて自分を生きた
ヘプバーンさんの人生に、
あらためて感銘を受ける次第です。
自分の言葉で自分を語れる人生を創ろう。
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