怒りとは、無理解の対立。 | おのころ心平オフィシャルブログ「ココロとカラダの交差点」Powered by Ameba

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病とその人の背景に潜むココロとカラダの繋がりを、西洋・東洋医学・科学・物理など様々な角度より検証し病気の“本当の原因”を探ります。

おはようございます。

おのころ心平です。

 

怒りは、心理学的に

「二次的な感情」と言われており、

その下には、

・寂しさ、
・悲しみ、
・助けてほしい、
・理解してほしい、
・愛してほしい、

のいずれかが隠れていることが

多いものです。

 

怒りはそれらの蓋になっているだけで、
怒りの正体(=潜在的な欲求)は、
「わかってほしい」ということです。

「わかってほしい」から怒る。

でも、怒られたほうは

よけいにわからなくなる……。

***


怒りとは「無理解の対立」

と言えるかもしれません。

わかってくれないなら、

わかってやらない。
 

わかってほしい、

でも、わかられてたまるもんか。

この複雑な心の葛藤が

限界を超えてしまうと、

「理解の臓器」である

肝臓に影響が出てしまうのです。

ご存知のように、

肝臓の大きな役割は「解毒」です。
 

「毒をも解する」と書いて解毒。

肝臓は送られて来るものをよく観察し、

相手がなんであれ、

よく解きあかして

自分に必要なものであるかどうかを

識別しています。



怒りというのは、

いわばこの「相手を理解する」

という肝臓の作業を、

もっとも妨げる感情なのです。

寂しさ、
悲しみ、
助けてほしい、
理解してほしい、
愛してほしい、

そして、
わかってほしい

相手のことや、

自分の気持ちの

「理解」をあきらめた先に、

各種の生活習慣病が

待っているのかもしれません。

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